|
2010年8月6日(金)〜8月11日(水) D−D−10 晴 6人 |
|
|
集合場所:信濃大町23時
解散場所:東京駅14時30分
@黒四ダム07:05・・11:10平の渡し12:00・・・14:25奥黒部ヒュッテ
A奥黒部ヒュッテ06:50・・・09:00下の黒ビンガ09:05・・・12:10広河原12:30
・・・14:10金作谷ビバーク
B奥黒部ヒュッテ06:50・・・12:10立石12:15・・・14:00立石奇岩14:18
・・・15:30ビバーク地
Cビバーク地06:50・・・08:55登山道09:10・・・10:10薬師沢小屋11:25
・・・13:55太郎平小屋14:15・・・17:00折立
※歩行:@6時間、 A歩行6時間、 B歩行7時間、 C歩行8時間
休憩:@1時間20分、 A1時間20分、 B1時間40分、 C2時間 |
|
報告事項 |
・最上級の沢技術が必要。激流の渡渉、泳ぎの事前訓練が不可欠。
・太郎平小屋で同じグループのロッジ太郎を予約してくれる。 |
北アルプスの中心部、岩苔乗越から日本海に注ぐ黒部川は中央部に巨大な黒四ダムがあり、日本有数の山岳観光地である。この下流には下の廊下の難所がある。秋口になって登山道の整備が済まないと通行できない険路ではあるが、一応登山道が整備されている。
これに反して上流の上の廊下は完全に沢登りの世界で、圧倒的な岩壁に囲まれた最上級の沢コースである。みろく山の会では一九九九年に高橋前理事長をCLとするパーティーが遡行に成功している。五年前には故林一夫氏をCLとする三人パーティーが挑戦したが悪天候で入渓点の奥黒部ヒュッテから退却している。私個人としては年齢的に今年が挑戦できる限界かなという思いもあり、何人かに声をかけた所、強力なメンバーが揃うことになった。
五月から玄倉川、丹波川、一之瀬川の本流で訓練を行い、装備の研究、激流の渡渉や泳ぎについてのノウハウの収集に努めた。メンバーは六名で最高齢は七一歳、最年少は四九歳、平均六一歳と年齢の分布は中高年だが、平均は間違いなく高年のパーティーである。
八月六日:夕方各自が自宅を出発して大町駅前の宿に集合した。体力を本番までに消耗しないように夜行列車は避けることにした。
八月七日:五時にタクシーで扇沢まで入り、六時半の一番のバスで黒四ダムに到着。天候は晴れ時々曇りというところ。ダム湖に沿って平の小屋まで歩く。十二時の渡し船に乗って対岸に渡る。しばらくは平坦な道だが、やがていたるところで道が土砂崩れで崩壊しており、そこに木で索道が作られている。この登り降りが急峻で息が切れる。それでも十四時半には奥黒部ヒュッテに着いた。宿泊の手続きと共に上の廊下への入渓の手続きをする。「今年は水が多い、まだ今年は遡行に成功したパーティーはいない」、等など宿の管理人におどかされる。結局、前後して歩いていた2パーティーと我々の合計3パーティーが今年の最初の挑戦者であることが判った。彼らは一時間ほど先の熊の沢出合でビバークするとのこと。
八月八日:今日もよい天気である。七時前に出発する。やがて最初の渡渉。腰ぐらいの深さであるが、水圧は強い。しばらく行くと下の黒ビンガという大岩壁の下を通過する。このあたりで苦労するようなら引き返せと文献には書いてあったが、まずは合格。右岸から口元のタル沢が入ると、そのすぐ上流のゴルジュが第一の難関。過去事故もいくつか起こっている。右岸沿いに首ぐらいまで浸かって進み、畳半畳ぐらいの河原に出る。次に先頭が空身になってロープをつけて左岸へ泳ぎ、さらに左岸沿いに進んで。この難所を突破した。後のメンバーはザックを背負ってロープで引いてもらいながら泳いで突破し、今日の最大の課題を解決した。これ以降も激流の渡渉や高巻+懸垂下降などを繰り返すうちに上の黒ビンガに到着。大岩壁から滝がいくつも本流に流れ込み、その美しさにため息が出る。やがて金作谷の出合に到着。水際から数m上に安全な台地があり、ここにツェルトを張った。先行のパーティーも少し離れた所にテントを張った。流木を盛大に燃やして濡れた衣類を乾かす。
八月九日:今日も快晴。昨日と同じ七時前に出発。出発してすぐの場所に第二難関のゴルジュがある。先頭は水中に飛び込んだ勢いで激流を泳ぎきるなど非常に難しい渓流泳ぎの技術を使った。昨日の口元のタル沢より厳しい。ようやくここを抜けたと思うと、すぐに第三難関のスゴの淵のゴルジュ。トップはここをツルツルの岸壁にそって泳ぎながら進み、スカイフックを引っ掛けて岩場をよじ登って通過。まさに核心部で興奮度も超一流である。やがて岩苔小谷の出合い。この沢を登ると高天原の小屋に抜けることが可能であり、唯一のエスケープルートである。帰ったら林さんのお墓にご報告に行こうといって、ここで黒部の水を汲んだ。この上流が最後の難関であるが、これも無事通過して立石奇岩に到着。ここは今にも崩れそうな岩塔が立っている。更に一時間ほど行った河原でツェルトを張った。あと一〜二時間で大東新道の登山道に出て終了だが、疲れたことと、天候も良く、もう一夜、黒部の瀬音を聞いて寝ようということでビバークとなった。
八月十日:今日も晴れ。同じく七時前に出発し、八時二十分には登山道に出ることが出来た。これで上の廊下は終了。薬師沢小屋から太郎平小屋に行き、富山県警の人に沢の状態の詳細を報告する。我々は今年の4パーティー目の完登者らしい。このころから猛烈な雷雨になる。折立に向かって駆け下り五時到着。迎えのタクシーで立山駅の宿に行き、祝杯を挙げた。
八月十一日:今日は列車で帰るだけ。雨は上がっているが山は雲に包まれている。車窓から見る黒部川は茶色い濁流となっていた。
以上が山行記であるが、帰った翌日から台風4号が北陸地方を襲った。十四日には上の廊下に入ったパーティーが遭難しており、我々は本当に幸運であった。この沢は沢登りの実力と共に天候のチャンスが掴めるかどうかが成功の鍵であることを身にしみて感じた。
|
|