「日本横断夢の縦走 行くぞ!(オー)行くぞ!(オー)行くぞ(オー)」



「夢は叶う 日本横断を終えて」    T.S.

 標識に従って道を右折する。不意に白い燈台が目に飛び込んで来る。静岡県最南端の御前崎岬である。
 2005年7月、日本海の親不知海岸で汲んだ海水を太平洋に還し、お神酒も注ぐ。
 不幸にして今回一緒に来る事が出来なかった阿部みよ子さんに黙とうする。高橋会長に作っていただいた横断幕の前で記念写真をとり皆で勝どきの声を上げる。
 このシーンを何度思い描いて来た事か…終った!
 2004年8月、日本横断夢の縦走の計画を立ち上げ、10回に及ぶトレーニング山行等の凖備を経て、2005年7月、第一回目を開始してから1年5か月後の2006年12月第13回目を終え、無事故で北アルプス・中央アルプス・南アルプスをつなぎ通す事が出来た
 距離506q、累積標高33746m、延べ49日、泊り36回(車中泊2・無人小屋等7・営業小屋素泊り5・テント泊15・民宿等7)、延べ参加人数125人、一入当り費用30万円。
 最初は25分も掛ったテント設営(今は5〜6分)、11時間25分も行動した針ノ木〜烏帽子、蒼天にそびえる雪の乗鞍、木曽谷から駒ケ岳を越え、伊那谷へ下り中央アルプスと南アルプスをつないだ時、目指す太平洋を見渡せた上河内岳の大展望、30mに渡り大崩壊していた寸又川左岸林道。

 次々と思い浮び苦しい事もあった筈なのに、一向に思いつかない。苦しかった事も含めて大切な宝石の様な思い出となっている。困難な目標に挑み、達成する事が出釆た満足感と幸福感。やって良かった。
 メンバー!、天侯、運に恵まれたと思う。心より感謝したい。


2005年7月15日、スタート前に親不知海岸(富山県)で日本海の海水を汲んで、この海水を2006年18年12月16日、御前崎海岸(静岡県)で太平洋に戻した


「計 画」
       T.M.
 親不知から御前崎までを一気に歩けば40日くらいで終る。しかしメンバーのほとんどが仕事を持っているので長期の日数はとれず、3泊4日を主に13回に分けて2年で歩く計画を立てた。ほとんどが3000メートル級の山なので山の縦走は7月〜10月とし、冬は、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの間をつなぐために、乗鞍高原から木曽へ、駒ヶ根から北沢峠などの林道や一般道を歩くことにした。
 登山道に比べ林道は情報がなく、特に寸又川左岸林道は苦労した。
 山の稜線までは、下山に使った道を次回は登るというように重複したが、季節が変わると新しい発見があって、それも楽しかった。
 1日の行動は3時起床、4時半出発とし、2時には、次の幕営地のメドが立つようにした。また天気で、コースを入れ替えたり、日程を変更したりして無理はしなかった。無事故で終ったことが何よりうれしい。

「トレーニング」  K.H.
 普段トレーニングを積んで山行に望まれる方が多いと思います。
 私達は縦走に向けて2004年10月より10回に及ぶトレーニング山行を実施しました。その結果、2年間にわたる縦走を、山行中リタイアする人もなく日本海から太平洋まで歩ききることが出来ました。その影にはもちろん個人の努力が相当ありました。
 メンバーのトレーニング方法を一部紹介します。まだ仕事を持っている人が多く出勤前、あるいは昼休みなど時間を有効に使っています。ジョギング、階段の昇り降り、腕立、腹筋、自転車での通勤、ウォーキング、仕事中に足首に重りをつける。半分位上の人が取り入れているのがスクワットです。(バーベル30キロ〜50キロを使っての方もいます。)
 私自身この山行で得た事は数多くあります。長い時は4泊5日のテント山行、共同装備を均等に持つなど不安がありました。第一回目の栂海新道は、緊張のスタートでした。しかし回を重ねるうちに自信がついてきました。
 目標を持ち努力したこと、メンバーに恵まれ完登した事は、私の宝となりました。

2005年年7月15日、横断初日、栂海新道をスタート

「装 備」       T.A.
 長帳場の歩きなので軽量化に苦心した。14s台の荷重を目標に全員が工夫した。
 ザックが大きいと、どうしても荷物が多目になってしまう、メンバーのザックは40リットル〜65リットルまで分布していたが、50リットル位が適当と思えた。
 今回私が選び直したアイテムは1リットルの折りたたみ式水容器、小型でシンプルなナイフ、把手が左右に折りたためるカップ、ライトは小型で電池の長持ちするもの、軽量で強度充分のカラビナ等である。細かい物でもこだわって軽くしないと、17kgを超えてしまう。
 山行中に急な雨に会う事は良くあった。ザックカバーだけではなく、衣類等はポリ袋に入れる事が効果的であった。又サブザックは水汲み時に重宝した。
 最後に、持物には名前を書く事が大事である、同一デザインの道具を持っている人が、よくいるのでトラブルの未然防止となる。

2005年7月18日 白馬雪渓

「食」
         Y.M.
一日の行動を終え、各々好みの飲み物で乾杯。至福のひとときです。それからいよいよ「3分・10分・3分・10分コッフェルでおいしく炊くご飯」のレシピに基づく、ご飯炊きの始まりです。お当番さんは時計とにらめっこで真剣にするもの。おこげの出来たご飯や水ぽいご飯を前に今日は高度が高かったからとか、風が吹いていたからとか、ひと言・ふた言ありましたが、山ならではのおいしさでした。
 食当は軽量化を第一に、簡単に調理でき、日持ちがし、おいしいこと、全員が元気に歩けるようにと考えてメニューを作りました。朝食は、餅入りスープ・ラーメン・うどん等腹持ちのいい物、夕食は、うな丼・ちらし寿司・暖かいソーメン等に味噌汁・乾物の煮物・海藻サラダ・漬け物などなど、我家の食卓顔負けのメニューが並びました。
 山行中は、食器の洗いが充分出来ない為、定番のカレーは山行の最終日に予定されていたのですが、気象条件で早めに下山することが多く、なかなか食べられず、いつの間にか幻のカレーと呼ばれていました。結局幻のカレーを食べられたのは全山行最終日の寸又峡林道でした。
 また水の大切さを改めて感じた山行となりました。テント場に飲料水がない為、途中で水を確保し、一層重くなったザックを背負い、急登を歩いたことも何度かありました。おいしい湧き水に渇きを癒された事も思い出されます。
 必要な時、必要なだけ水が手に入る生活、スイッチひとつでおこげのないご飯を食べられる生活、そんな便利な生活から離れ、自然の中で仲間と一緒に食べた不完全でも、暖かな食事は、私にとってとても大切な経験になりました。

2005年年10月9日、野口五郎岳付近から槍ヶ岳の眺望

「住」
         S.N.
 夜行電車では、座席と床に別れて横になるメンバーが多かったです。マットや新聞紙を床に敷けば最高のリクライニンクシートとなりました。長い足を通路に投げ出さないのがマナー。座席の入、窮屈だったかな?
 貸し切りバスでの移動は、他の乗客に気兼ねすることなく、好みの位置にスペースを確保して寝心地が最高でした。
 塩尻駅に到着。駅前のバス停小屋を発見。「ここにすっか」とリーダー。メンバーも慣れたもの、さっさとシュラフに潜り込んだ。
 戸台ロバス停側の仮眠施設も良かったです。畳敷き、マットレスと枕も付いて、十数人の収容が可能な立派な建物でした。
 荒天と雷を避けるため山小屋へ避難したことが二度ありました。
 11月に入ると、ほとんどの山小屋は閉鎖されますが、避難小屋として利用できる小屋は、有難く利用させて頂きました。中でも両俣小屋の管理人、星さんの心尽くしに感謝。冬季登山者のために備えて下さったのでしょう。トイレ、室内の清掃は行き届き、カップ麺等の非常食が準備してありました。ウィスキーもありましたが、誰も手を出さなかった。さすが横断メンバー。薪ストーブに火を入れて快適、煙突で指に火傷が二人。Xさんは、二度も触れてアチッ。ガスの節約にもなりました。
 小屋では、就寝前にしっかり食料をザックに格納する等の鼠対策も忘れずに実施しました。
 日本横断夢の縦走は、テント泊が原則でした。一張りに、4,5人参加人数によって二または三張り使用。テント泊の基本は整理整頓です。使い方で狭い敷地も広く感じます。歓談や食事の時は車座、寝る時は川となって高いびき、早く寝付いた入が勝ち組み。夏場は銀マツト上にシュラフカバーのみで眠りました。着衣も昼の歩行中と同じでした。地面の凹凸で寝心地がいまいちの夜もありましたが、シュラフとエアーマットで1.1sの減量となりました。空ザックをマットの代わりに利用する等、背中の軽量化は工夫次第です。テント泊は、すし詰めにされることもなく、ゆったりと就寝ができて翌日の足取りは快調でした。お試しください。

「気合入れ」
    N.R.
 「日本横断夢の縦走 行くぞ!(オー)行くぞ!(オー)行くぞ(オー)」これぞ雄叫び。ストレッチを済ませ歩き始める前に必ず行う気合入れ、この言葉は私達の気持を引き締め団結力に繋がったと思います。
 これを思いついたリーダーは、スポーツ選手が試合前に円陣を組んで気勢を挙げているのを見て「これだ!やろー」と決めたそうです。こんなに簡単な言葉がいざ大声で叫ぶ途中でつっかえたり「あれ何だったっけー」となってしまうのですが、山行中は毎朝気合入れをするので段々と上手になり目分の番が待ち遠しくなっていました。
 早立ちの時は他のテントの入達に配慮して少し離れた所でも必ず行う気合入れ。時には余りにも小さな声で気合いを入れていたので小屋のご主人が出て来て「もっと大きな声でやり直し」と言われた事もありました。
 最終日の最後に坪井リーダーが気合入れを行いお別れの雄叫びとなり、感激。

2006年11月3日、両俣小屋泊の時に薪ストーブで暖をとる

「花」
         T.M.
 縦走中、励まされたのは、花だった。特筆は、一回目の栂海新道で、今も鮮やかな思い出として心に残っている。里は夏の花が盛りなのに山中では桜の花が咲き、北俣の水場では、残雪の下からコザクラやアオノツガザクラが夏の陽を待ちわびていたように咲きはじめていた。特に黒岩平では青空と雪肌の頂きを水面に写した池にアヤメが群生し、手前に黄色のリュウキンカが咲き揃ってアヤメの紫色を一層鮮やかにひき立てていた。
 また、よく見かける水芭蕉は真白だが、ここの水芭蕉は透けるような白さで、池の縁だけ一列の曲線をなし、登山道の交差するところまで連なっている様は、雛鳥が歩いているようだった。そこから間もなく急なガレ場を登っていくと岳樺の林床に特大のキヌガサソウ、シラネアオイ、サンカヨウが咲き競い深山の花園の素晴らしさが疲れを一時忘れさせてくれた。
 この縦走が、長きにわたる山行だったと感じたのは、11月初め仙塩尾根のマルバタケブキ、アザミ等、咲き終え立ち枯れた姿に季節の移ろいを実感した。また雪の山となった光岳から下りた寸又川左岸林道で崖の陽だまりにナデシコが花束を点在させたように咲いているのを目にした時、メンバーが歓声をあげた。最後の山で、思いがけず可憐な花に出合えた。さまざまな花との出合いがあり感動の山旅であった。

2006年12月23日、光岳山頂にて

「山の幸」
      F.Y.
 山の楽しみ方は人それぞれだが、夏山縦走には格別の楽しみがある。なかでも山の幸の収穫は楽しみを通り越して半ば目的としても良いくらいである。
 梅雨明けを待ちかねるように「夢の縦走」が開始された。黒岩山から朝日岳に向かっては池塘が多く花が豊富なところである。ミズバショウ、キヌガサソウ、ショウジョウバカマ…ん・・・行者ニンニク!知る人ぞ知る山の幸、苦行を積む行者の強壮薬にして味は横綱格、 一株から一葉ずつそっと戴きラーメンの具に。初めて食べる私であるが思わずうなる旨さ120%
 2005年の山は豊穣であった。9月にはいると北アルプスはいたるところ黒ムラサキ色に熟した和製ブルーベリーがたわわに実っていた。本名をクロウスゴといい樹高は肩の高さぐらい、ちょっとかがんで覗き込むと葉の裏側に美味しい実がついている。歩きながら下から覗き込むU先生ばりの変な癖がついてしまったのは私だけだろうか。和製ブルーベリーにはもう一種、クロマメノキがある。樹高は膝頭ほどだが実の付が良く甘い。南沢岳ではあまりの豊作に縦走などどこかへ消し飛んでしまった。そのまま食べても美味しいがジャムにすると格別である。
 サルナシをこ存知だろうか。朝ドラ「ひらり」で歌われたコクワのこと。滋養強壮にずくれ冬眠前の熊の大好物とか。味はラフランスに良く似ていて縦走中はその優雅な香りに幾度となく引き寄せられたものである。
 圧巻は車両通行止めになった11月の乗鞍スーパー林道でのこと。甘い香りを漂わせた何本もの山葡萄の大蔓と熊の糞。ゆさゆさと揺すると赤黒い果実が大量に落ちてきた。全員そろって拾い集める。これをどうするかって?  リカーに漬け込めば3ヶ月もすると芳醇な百薬の長の出来上がりとなるのである。新年会をご想像いただきたい。
 (余禄)山の幸は木の実ばかりではない。墜死したばかりの日本鹿や林道で車に撥ねられたカモシカなぞを目撃。喉から手が出るほど欲しいモモ肉ではあるが「みろく山の会」は紳士ぞろい、横目でにらんだだけで通り過ぎてきた。

「仲間」
       M.H.
 朝暗いうちに家を出る時、長い単調な登り、歩いても歩いても少しも目的地に近づかない延々と続く林道など、何でこんなことを続げているのだろうかと考えることが度々あったが、その都度仲間に励まされ、横断縦走を踏破することができた。楽しく、充実した登山を満喫できたのはメンバーのおかげと感謝している。長期間テントの狭い空間で寝食を共にし、疲れた後にテントの設営、食事の準備等の共同作業を行うためには、メンバーとの連帯、信頼関係が必要であるが、訓練山行と毎回の山行で徐々にこれらの関係を築くことができた。又、各メンバーは単にリーダーに従って歩くだけではなく、食事、気象、ルートファインディング等の各自の得意分野でそれぞれ貢献し、自らも責任の一部を担っている自覚と誇りを持つことができ、より充実した山行とすることができた。
 しかし、楽しいことばかりではなかった。仙の倉岳の悲しい事故によりメンバーの阿部みよ子さんを失ってしまった。この事故以来全員の行動が危険を避け、慎重となったため、無事故での完遂ができたと考えると、彼女が我等の安全を守ってくれたとも思える。
 心からご冥福をお祈りする。

2006年12月16日、御前崎にゴール

「アホらしいが偉大なる計画達成に感服!」     K.M.
 なに! 日本列島を歩いて横断する? 狂ったか中高年?
 それも夏真っ盛りのあの長い栂海(ツガミ)新道を! それも親不知から! また、時には車がブンブン走る国道を! 500qを一年半もかけて歩き貫くとは…。
 あの栂海新道をフェーン現象で30度を越す真夏に下り、熱中症に罹った小生にとっては、それを登りに使うとは全く信じ難いことであった。それに「山屋」が国道をテクテク歩くとは…。これは正気、な話か???
 それがこの計画を最初に聞いた時の呆れた正直な感想であった。
 しかし、やり始めたではないか!先ず、北アルプスを順調にクリアー。そして乗鞍はどうするかと見てい
たら、あの自動車道を雪中にも拘わらず、熊に会ったりしながらトコトコ歩いてしまったではないか。この時、初めて「これはやるぞ!奴等は本気なんだ!」と思った。正直言って、いつ全行程を歩き通すかが楽しみになり始めたではないか。不思議にも…。
 南アルプス南部はどのコースで歩くのか? おお、あの長い退屈な林道を歩き通したではないか。土砂崩れで随分と苦労したと、後で聞いたが、それでも寸又峡に辿り着いた。後は我慢の国道歩きが御前崎まて続いたとのこと。何十、何百キロあったのかな?
 この遠大で偉大でアホらしい計画に取組み、クリアーしてしまった中高年者の執念深さ?? いや失礼、入念な計画に基づいた目標に向かって突き進んで行った闘志と意志の強さには感服しきりだ!立派だ!大変なことだ!
 本当におめでとう!
 暗いムードにあった「みろく」にとっては久方ぶりの明るいニュースとなった。ありがとう!
 さあ〜て、次の目標はどうなりますか。楽しみにもなり、また無責任に焚き付けたい気持ちにもなる快挙だった!
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 それにしても山登りでもいろんな楽しみ方があるものですね。百名山(このブーム、小生は余り感心はしませんが・・)もそうでしょうが、もっと本格的には
・長野県や山梨県を取巻く県境の山々を歩き貫くとか
・三国岳・三国山・三俣蓮華岳とかの三国の県境点の山をクリアーするとか
・一等三角点設置の山をとか
・分水嶺の山(日本縦断)とか
等々、目標を定めての山も考えられます。決して「やれ、やれ!」と焚き付けてはいませんが…。
 他のメンバーもこの快挙を機会に一念発起、連れて行ってもらう山登りを卒業して、少しでも自分なりの山登りの楽しみ方を見付けられるよう希望して、今回の快挙を祝いたい。