7月にスタートを予定していた第三回日本横断夢の縦走①(富山湾~劔岳~立山)が、悪天候のため8月の実施となり、当初8月に予定していた第三回日本横断夢の縦走②(槍ヶ岳~穂高連峰)が悪天候のため来年まで延期となり、もともと夢の縦走③として次に予定していた五色が原~薬師岳~雲ノ平を繰り上げて縦走②として、9/18~23に歩き終えていた。
(―縦走① ―縦走② ―縦走③)
今回は、当初8月の夢の縦走②の到着地点として予定していた上高地からスタートし、木曽福島駅まで既に廃道になっている上高地乗鞍スーパー林道C区間も含み、やや変化のあるコースを予定していたが、結果的には誰も予想できなかった意外な展開となった。
メンバー 隊長のジャンボ高橋
渋い山屋の中村(直)
ニコニコ大臣の横山
カモシカの船戸
教育係の武沢
春風の大場
ふんわりわたあめの原
努力の中村(志)
スーパーパワーの野澤
(以下:敬称略)
10月8日(木) 晴 ①新宿高速バスターミナル22:30発 さわやか信州号
②都庁大型バス駐車場23:00発 毎日アルペン号
バスの予約の関係で、仕方なく二手に分かれて新宿を出発、翌朝5:15頃に上高地バスターミナルで集合する。毎日アルペン号は30分遅い出発であったが、さわやか信州号より少しだけ先に到着していた。
10月9日(金) 晴 5:50上高地発(上高地~焼岳~新中の湯登山口~倉洞沢)
行動 8時間40分(予定10時間)
夕食 うどん、切り干し大根の胡麻和え
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3列シートの夜行バスで睡眠を確保したつもりではあったが、まだ薄暗いこの時期の上高地は、目を覚ますには十分な冷気に包まれていた。全員が集合すると、メンバー同士でいつものようにザックの大きさや重さを比較し装備等を確認しあうが、これから初めて経験する廃道歩きと倉洞沢での幕営が皆の関心事となっていた。
サブリーダーとして5年前にジャンボ隊長だけが歩いたことのある上高地乗鞍スーパー林道C区間は、2003年の雪崩に伴う橋梁等の流出により閉鎖されている廃道で、最近の地図等では全く情報がなく、幕営を予定している倉洞沢への到着時間も予想し難い状況にある。ネットで見る限り、熊の落とし物があり猿の鳴き声が響きわたり、ネット掲載者もその様子に恐れをなし途中で引き返しているので、廃道の全貌については全く分からず仕舞いである。
そのような中でも横断メンバーは常にポジティブで、いつもと変わらず元気よく期待に胸を膨らませて横断③がスタートしたが、今回は恒例の記念撮影を何故か失念。
天気は予報通りの快晴。帝国ホテルを通り過ぎ梓川を越えて、人のいなくなった登山道の手前で、ジャンボ隊長の掛け声による恒例の気合入れとともに、これから始まる山行へ期待が膨らんだ。
サブリーダー武沢を先頭に、切り立った岩と紅葉のコントラストを楽しみながらコースタイムより20分ほど早く、約2時間半で焼岳小屋に到着。休憩時に、大場が柿を2切れずつ全員に配っていたが、山中での果物は非常に有難い。
焼岳小屋を後にして、噴気孔から所々で立ち上がる白い火山ガスの硫黄臭を感じながら、火山特有の砂礫と岩のザレた道を登っていくと、中腹からは笠ヶ岳、槍ヶ岳、穂高連峰の素晴らしい眺めが楽しめた。快晴ではあるが風は冷たく強い。防風対策が必要であった。大場、中村(志)、船戸はフードまで被り完全装備で対応。
10時に2444メートルの焼岳北峰に登頂し、武沢は百名山の97座目をクリア、残すはあと3座のみとなった。
北峰山頂では、メンバー全員で今回最初の記念撮影となった。
現在立入が禁止されている南峰は北峰の目の前にあり、北峰直下の鞍部を回り込むルートは、綺麗な緑色の火山湖と噴気孔に近く、更に強烈な硫黄臭を経験することとなった。
北峰の山頂部を後方に仰ぎ、左方に威風堂々とした霞沢岳を眺めつつ、ササの緑やダケカンバの黄、ナナカマドの赤を堪能しながら、12時20分に『広場』に到着。待望の昼食タイムとなった。
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『広場』のルートから少し外れた草むらの陰で、クマの巨大なお土産らしき物を発見。礼儀正しいクマなのか、またはクマに近いヒトのお土産なのか、その後メンバーの間で真偽の程が話題となったが、その真相は結局のところ不明である。
紅葉を満喫しながら13時5分に焼岳登山道入口まで下山し、国道158号を進むと、上高地乗鞍スーパー林道C区間の入口が見えてきた。
いよいよ、今回の横断③の山場の一つに挑戦である。やや緊張感は漂うが、躊躇うことなく皆がスーパー林道に吸い込まれていく。
しばらく歩くと道が広くなり、焼岳と穂高連峰が同時に見渡せるこの林道ならではの絶景スポットがあった。その昔は、ドライブを楽しむ観光客たちが車を道路脇に停めて、この絶景を楽しんだことが想像できる。
スーパー林道を更に進み、ブルーシートに包まれたまま中途半端に少しだけ開いたゲート脇をすり抜けると、10分も経たないうちに道の様相が一変し、伸び放題の草や崩落した岩や倒木、溢れている沢の水の厳しい洗礼を受けることとなる。
横断メンバーの女性戦士たちは勇敢で、クマ鈴を鳴らしながら、初めて経験するこの悪路をむしろ楽しんでいるようにも見えた。
これから経験する全てが、アスファルトで舗装された林道上での出来事である。
ジャンボ隊長は、どんな障害物が道を塞ごうとも、道がどんな状況になっていようとも、ひたすら前進あるのみで、その足取りには全く躊躇がなかった。
見通しの悪い急カーブでは、傾きながら今も残るカーブミラーに動く物が映ってないことを確認しながら前に進む。特に、黒い物が動いていないかを確認しながら。
50分程このような道を進むと、今夜の幕営地の倉洞沢に着いたが、C区間の地図はもはや存在しないため、倉洞沢の位置と言ってもGPSと沢の音だけが頼りである。
武沢、野澤と男性3名が、水が汲める沢まで10メートルほど下り、今日の夕食用と明日の行動用の水を汲んだ。きっと、この地に住むクマやサルなどの動物たちも利用している沢なのであろう。彼らに出会わないことを願いつつ、持てる限りの水容器に水を詰めて急な登坂を林道まで戻った。
各自が2~4ℓの水をザックに追加して歩き始めると、15分ほどで初めて幕場に適した平らな場所にっても、幕営が可能ならばどこでも構わないのである。女性陣には厳しい水の運搬となった。
何もない林道の真ん中に、いつも通りにテントを張るだけではあるが、これも何故か楽しく貴重な経験である。
テントを張り終えたら、やはり林道の真ん中で車座になって、恒例の反省会である。
場所がどこであろうとも、その日の山行が終わったら、とにかく、いつも反省会を開催するのである。
ベテランの中村(直)が実践する「行動食=酒の肴」に習い、皆の行動食は酒の肴としても楽しめるものが多くなってきた。最近の反省会は、つまみの種類が充実していて楽しい。今回のエイヒレや小エビは、まさに酒の肴の乾き物である。行動食には甘いものが多くなるので、横山は前回も好評だった醤油のたっぷり滲み込んだ「割れせん」を持参。
船戸も今回から醤油味の煎餅を気に入って持ち込んでいる。煎餅の原料はお米でもあるし、行動食としては案外優れものかもしれない。
中村(直)は、一人だけ相変わらず薄着であるが、こればかりはとても真似はできない。
クマやサルと出会うのも怖いが、この林道ではヒトが通りかかったら、もっともっと怖いであろう、お互いに。なんとも愉快で不思議な空間である
この夜は風がなく案外暖かかった。動物と出合うこともなく、静かな夜を過ごすことができた。
ただ、真夜中にテントの中で寝ている時に、外張りに何かが当たった音がして、一瞬テントが震えたのを感じた。冷汗が出て動物の気配がしないか、外の物音に全神経を集中したが、大丈夫そうだと判断するとまた深い眠りについた。何であったかは不明である。
【上高地5:50→焼岳小屋8:20→焼岳北峰10:00→倉洞沢テン場14:30】
10月10日(土) 晴 倉洞沢~白骨温泉~乗鞍高原~位ヶ原山荘
行動 9時間(予定 10時間)
朝食 マカロニ入りチーズトマトソース
5時半の出発を予定し、4時に起床。予定より18分も早い5:12に全てを準備し、ヘッデンをつけて出発。まだ暗い山の中に響き渡るサブリーダー船戸の気合に8人が応え、恒例の朝の掛け声は、いつもより力強い皆の決意が感じられた、最近は全員がテント泊にも慣れ、スピーディーな行動が可能となり、出発時間が早まることも多くなったと思う。
倉洞沢から先では、まだ薄暗い中、いきなり昨日より激しい土砂崩れ等の現場が続く。堤が水に流されて、もはや道ではなくなっていたり、完全に陥没している道もあった。
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足が滑ったら谷底へ転がり落ちる状況に、慎重な一歩が要求される。
沢の水が道に溜り、靴の半分くらいまで水に浸かり、ストックで水の深さを確認しながら浅い場所を探し、なんとか前に進む。
初めて経験した廃道歩きは、地図もなく、歩く距離・時間や道がどのようになっているのかもわからない状況に置かれるが、この刺激にメンバー全員がやや興奮していた。
次回の日本横断が5年後にあるとすれば、その時までにもっと崩落が進むだろうと思う箇所も多かった。
廃道ツアーや廃道の専門ガイドは、新しいビジネスになるのではないかとも思った。
結局、林道では生きた動物に出会うことはなかったが、原は林道の真ん中にあった小ネズミの死骸を踏みそうになりワーワーと大騒ぎ。中村(志)は、大嫌いなヘビの死骸にこれまたキャーキャーと過敏に反応。威勢のいいクマやサルを発見したならともかく、死んだ小ネズミやヘビにあれほど反応するとは、山歩きはパワフルでも、やはりいつまでも気持ちは女子だったのだと理解し、寧ろ安心。
1時間半ほど歩くと、『長い坂道、エンジンブレーキを使用』の標識が出てきたので、白骨温泉が近くなり、漸くスーパー林道の終わりが近いことを認識する。
7:20白骨温泉に到着。温泉街で自動販売機を見つけると、皆がコーヒーやジュースを堪能した。一般道歩きは足の裏が痛くなるが、このような恩恵もあり個人的には案外嫌いではない。広い露天風呂がある「泡の湯」を横目に8:20登山道に入り、ゴールの位ヶ原山荘を目指す。
途中の見晴峠周辺は、カラマツの落ち葉がカーペットのようで足に優しい。昨日からのスーパー林道とは対照的に、でこぼこが少なく、なだらかな下りは歩きやすく穏やかで、気持ちのいい道だった。
山ブドウのつるはあるが、動物に食べられてしまったのか、なかなかブドウの実が見つからない。待ち切れず、落ちていた木の実を山ブドウだと思い一粒食べたところ、山ブドウではなく、暫くの間、鉱物を連想するような経験したことがない臭いが口の中から消えなかった。これでは、動物も食べずに残す訳である。
10:10鈴蘭にある乗鞍高原観光センターに着くと、早目の昼食となり、各自がカレーライスや天ぷらうどんを大満足で食べた。カツカレーもメニューにあったが、カツの準備に時間がかかるとのことで諦めたのは残念だった。山行の途中で食べる食後のソフトクリームも格別であった。
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Mt.乗鞍スノーリゾートの脇を抜け、11:22登山道に入る。横断の本番では、なかなか歩くスピードの上がらない横山が2番手となって縦走することが多い。時々、先頭との距離が開いていくことで、速くなり過ぎないように全体のペースが自然と調整されるためで、今回の焼岳?乗鞍岳も横山が定位置のように2番手を歩いた。
鳥居尾根を通り、13:30に冷泉小屋(休業中)に到着。目の前には流れ落ちる豊富な湧き水があるが、硫黄を含む冷泉で飲み水には適さないらしい。ここまではコースタイムより相当早いペースだったので、冷泉小屋で暫く時間調整をする余裕(実は休憩?)さえあった。
ヒルクライムを楽しむロードバイクに気を付けながら、マイカー規制がある九十九折の乗鞍エコーラインを何度も横切り直登が続く。14:08ゴールの位ヶ原山荘に到着。変化に富んだ長い一日が終わった。
位ヶ原山荘は、落ち着いた雰囲気で、従業員の対応も非常に良心的だ。今回は素泊まりで、男女が2階の別々の部屋に通され、女性用の部屋は6名でちょうどいい広さとなっていたが、男性用の部屋は3名では笑みがこぼれるほど広い。毛布2枚と羽毛の掛布団は、寝ていても十分な暖かさで幸せを感じた。
朝は水道が凍るから、夜までに水は汲んでおくようにと山小屋の従業員から言われていたので、いろいろな水容器に水を汲んで準備しておいたが、今回は翌朝まで凍ることはなかった。
今夜はテントを張る必要がないので、各自がザックの荷物を整理し終えると、1階の談話室でまた恒例の反省会となった。全員が揃うのが待ち切れず、用意ができた者から取り敢えず自主的に反省会を始めていた。炬燵の心地良さに、皆の笑顔が絶えない。
やや長めの反省会の後は、同じく1階にある食堂で夕食を楽しんだ。
夕食のメニューは、きのこ山菜ちらし寿司・金ゴマいわし・味噌汁。
食後、男部屋でリーダー達とベテラン中村(直)による臨時の打ち合わせが行われた。リーダーでない横山も男部屋の住人なのでその場に居合わせ、「ヤマテン」による明日の天候予報が極めて悪くなっていることを知る。中村(直)の『この季節に無理をすれば、遭難に繋がる典型的なパターン』との言葉が重く響く。
このまま山荘で1日停滞し、翌日から行動を再開する案もあったが、メンバーの都合と、この大雨の後に歩くコースの状態を考慮し、停滞案は消えた。あとは、明日の天候次第で最終的な決定をすることとなった。
明日の天候悪化の寒さ対策として、山荘の売店でウールの厚手の手袋をすかさず購入。躊躇している時間も余裕もなかった。この時期に薄手の手袋しか持って来なかった知識不足を反省、山の天気の変わりやすさを実感。
【倉洞沢5:12 → 白骨温泉7:20 → 乗鞍高原10:10 → 位ヶ原山荘14:08】
10月11日(日) 雨 位ヶ原山荘
朝食 野菜スープ温麺入りチーズ乗せ
予想通り夜半から雨風が激しくなり、朝になってもその勢いが弱まることはなかった。
昨晩に決めた行動予定に従い、5時に食堂に集合。起きているのは我々だけだったので、ヘッデンの光を頼りに静かに食事を取った。
外はまだ暗く何も見ることはできないが、窓ガラスに叩き付けられる激しい雨の音だけで、風も相変わらず強いことがよくわかった。山小屋のトタン屋根の一部が風に煽られているのであろうか、カミナリと間違うような大きな音をたてていた。
朝食の温麺を食べ終わった頃には、ジャンボ隊長が発表する今日の行動計画が、皆の最大の関心事になっていた。『今日は、8時代のバスで下山する。』それぞれの想いを胸に、隊長の決定に皆が黙って頷く。前日の中村(直)の『遭難の典型的なパターン』という言葉が蘇る。後日の情報で、今回の暴風雨は二つ玉低気圧が原因であったことが判明。暴風雨が半日ずれていて登山の最中に暴風雨になったら、一体どうなっていたのだろうか。また、テント泊だったら、寝ている間にテントはどうなっていただろうか。
位ヶ原山荘と更に上に位置する乗鞍岳肩ノ小屋にいる宿泊客は、下山する方法がなく暫くは足止め状態となった。始発バスが到着する予定の8時までにはまだ時間があったので、パッキングを終えた者から1階にある談話室のコタツに集合して談笑していると、談話室に面した部屋から、宿泊していた小林篤君という一人の若者がひょっこりと出てきた。我々は1階に宿泊客がいるとは知らず、これから下山する気楽さから、早朝にもかかわらず騒いでいたので、相当うるさかったであろう。騒いでいたことを謝ったところから会話が弾み、彼が、わが国に二人しかいない雷鳥の研究者の一人であることを知る。師である信州大学の中村教授と共に、雷鳥を捕まえては個体識別をして、その調査・保護を行っている。釣り竿のような棒の先にワイヤーをつけて雷鳥の首にひっかけて捕えるようで、意外と簡単とのこと。一度やってみたいが、国立公園では登山道から外れて歩くことさえ許可が必要となる。
彼は今年8月の北ア大天井岳でニホンザルが雷鳥のヒナを捕食している写真を撮影し、発表した本人である。
雷鳥は2万年前の氷河期から存続しているが、今では乗鞍で150羽、全国でも2000羽ほどしか残っていなく、保護しないと絶滅の恐れがある危機的状況に置かれていて、その保護について海外とも情報交換をしているとのこと。雷鳥は飛べないイメージがあるが、その気になれば20km程度は飛べるそうだ。
みろく山の会からも要請があれば、喜んで雷鳥に関する講演も行なってもらえるとのこと。貴重な話が聞けると思うので、機会があれば講演をお願いしたいと思った。彼は現在のところ、日本における雷鳥研究のNO.2なのである。鳥も山も特に好きなわけではないと謙遜していたが、いつの日か雷鳥研究の権威となり世界で活躍するのであろう。この日のような悪天候のほうが猛禽類等の天敵が少なく安全なので、雷鳥が活発に活動し出会う可能性が高まるが、ここまでの悪天候では雛には危険であるし、そもそも人間にも危険である。さすがに彼も、今日は下山を試みていた。
引続き談話室で反省会をしながら定期バスの到着を待っていると、山荘のご主人から、8時代の始発バスが悪天候のため運行中止となったことを告げられる。1時間に1本のその後のバスも、運行は未定とのこと。引続きあてもなく反省し続けるわけにもいかず、タクシーをご主人に依頼する。タクシーは1台しか呼べず、9人のメンバーを乗鞍高原まで2往復して運ぶしかないと言われたが、この状況では仕方ないので、お願いすることにした。運転手は今日のような悪天候は忙しいと頗る上機嫌で、この大雨の中でもアクセルを強く踏み続けた。
乗鞍高原の「湯けむり館」で温泉に入り、さっぱりした頃には雨も殆ど止んでいた。バスを待つ時間に、本日2回目の反省会をしながら昼食を終えた。
乗鞍高原観光センターで雷鳥の小林君と一緒に記念撮影をした後、12:13発のバスで松本電鉄上高地線の新島々駅まで移動。13:26新島々駅から電車に乗り換えてJR松本駅に向う。松本電鉄に乗るのは初めてというメンバーもいて、気楽で楽しい車内であった。駅名から名前をつけたであろう「渕東なぎさ」というイメージキャラクタ―の大きく描かれた車両は、のどかな風景の中ではやや違和感を感じた。
14:49松本駅からスーパーあずさに乗り、帰路に就く。
日本横断は皆のチームワークで成り立っている。リーダー、サブリーダー、食担、会計、記録係、山行記係、等々の役割のどれかを必ず担当し、全員がチームに貢献する。誰かが欠けても成立しない。いろいろな経験をしながら日本横断を実現していくことも楽しいが、毎回メンバーと会えることも楽しい。日本横断は、そんな山行です。
横山・記
【参考 残念ながら今回は食べることができなかった食事】
10月11日(日) 夕食予定(未実現) 混ぜ込みご飯、みそ汁、海藻サラダ
10月12日(月) 朝食予定(未実現) スープ春雨小魚入り
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