日本横断夢の縦走パート2 H 三伏峠〜聖岳 (2011.8.12―16 歩行距離 41.4q) 日中は35度を越し連日熱帯夜の横浜を脱し、8月12日〜16日のお盆休みに南アルプスを縦走する。 烏帽子岳、前小河内岳、小内岳、前岳、小赤石岳、赤石岳、中盛丸山、小兎岳、兎岳、聖岳と
参加メンバー
隊長の坪井 一寸待っての坂本 テント師範の左光 心配性のマリア 最年少の鶴飼 いぶし銀の関 2012年の長島 (以上7名 敬称略) |
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8月12日 鳥倉林道ゲート〜三伏峠 行動 3時間10分(歩行距離 4.2q) 夕食 鰻丼
八王子駅Cホームに集合すると、隊長の知合いで西浜高校の美人教諭である小芝さんに会う、彼女は穂高を 7:29発のあずさ1号はお盆の帰省客でかなり混んでいる、隊長とマリアは電車の連結部通路にザックを横に 上諏訪で飯田線に乗り換える、駒ヶ根駅に近づくと右手に木曽駒ヶ岳・空木岳が見える、厳しかった前回の山行 |
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伊那大島で降り、ジャンボタクシーで鳥倉林道ゲートへ(18,000円)、強い日差しの中を歩き出す、山ブドウの葉があちこちに見られるが実は未だ無い、50分程行くと鳥倉登山口である、坂本を先頭に登り出す、どうも少し早い、最初から飛ばすとバテてしまう、「もう少しゆっくり!」と言っても、直ぐにまた早くなるのである、 ムー・・・・・・・ | |
カラマツ林を過ぎるとガラガラとしたガレ場である、ゲートから3時間10分で三伏小屋に着く、会計の坂本に受付に行ってもらい、男性4人、女性3人と分けてテントを張る。 | |
ビールでくつろぎながら夕食の準備、本日は皆が期待の鰻丼である、飯は7人分一緒に炊く、失敗したら何と言われる事か、しかも当分の間、絶対に失敗出来ない事から、飯炊きは関に担当してもらう、水加減をしてそのまま20分程置く、点火して3・10・3・10と淡々としてやっている、その間に茗荷、シソを刻み真空パックの鰻を湯せんする、この鰻は静岡産で今回食当の隊長が4枚用意した、1枚1680円もするのである。 | |
御飯が炊ける、満点である、食器に御飯をよそい、鰻を半分に割って載せる、タレ、山椒を振りかけ、茗荷、シソをたっぷり載せて出来上がり、 ウーン・・・・・・ 美味い! 鶴飼の食器には鰻が1枚丸ごと載せられている、彼女は日本横断Fで途中リタイアの為浜松で鰻丼を食べられなか ったのである。 夜近くで鹿の鳴き声がする。 |
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【鳥倉林道ゲート13:03 三伏峠テント場16:15】 | |
行動 10時間10分(歩行距離 13.7q) 朝食 スープ、餅 夕食 マーボ茄子、御飯、漬物 |
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3:30起床、朝食、テント撤収、4:35出発、お花畑の散在する稜線を烏帽子岳へ向って進む、朝の内はガスが出て おり展望は無い。 |
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前小河内岳では雷鳥を多数見る、5〜6羽いたヒナが2つに別れ、1つは右手のハイマツ帯に、残りの2羽は登山道を上へ上へと逃げて行く、我々が近づくと再た上へ行く、右側のハイマツ帯を親鳥が心配そうに「グー、グー」と鳴きながら付いて来る。 小河内岳では前方に3000mオーバー の荒川三山が良く見える、大日影山を経由して稜線を下り、高山裏避難小屋に着く、5年前にテントの積もりが雷雨の為、小屋素泊りに変更、水汲みに行き靴の中までぐしょ濡れとなって、新聞紙を提供してもらう等お世話になった小屋である、名物親父さんに挨拶する。 |
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この先の水場で水を補給、冷たくて美味しい、親父さんの話では台風の影響で未だ水が出ているが、2〜3日の内に 枯れると言う。 |
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ガレ場を急登して前岳(3068m)に着く、少し中岳方面に行ってから分岐を右に折れ、お花畑を通って荒川小屋に 隊長は予備の靴紐を出して靴に巻きつけガムテープで固定する、履いてみると左光はキツイと言う、 ムー・・・・・ ガムテープを剥がし、靴紐を取り、今度は靴を履かせたまま作業に掛かる、靴紐を靴底の溝に食い込ませる様に丹念に巻き、しっかり結わえてからガムテープで固定する、今度はOKであると言う、あと2日間の山歩きである、せめて 夕食はマーボ茄子である、これはお湯を加えるだけなので簡単である、飯炊きは坂本である、満点であった。 鶴飼が食欲が無く、直ぐ寝たいと言う、少し寒くなると調子が悪くなる様である。
【三伏峠4:36 烏帽子岳5:25 小河内岳6:50 前岳13:27 荒川小屋テント場14:45 】 |
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8月14日 荒川小屋〜小兎岳幕営地 行動 8時間15分(歩行距離 10.4q) 朝食 春雨スープ、餅 夕食 カレー、御飯、漬物 |
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3:30起床、鶴飼は元気に昨日のマーボ茄子を平らげる、4:45出発、赤石岳山頂は少しガスが出ている、やや見下ろした位置に虹かかり、我々の影も映っている、ブロッケン現象である、マリアや鶴飼は大喜びだ。 赤石岳を下った岩場(3015m地点)で休んでいるグループがいる、先方から「マリアじゃない?」と声が掛かる、何とみろく山の会メンバーである戸田・川島・平林・野中さんの4人である、南アルプス超一級の沢である赤石沢を詰め、百間洞山の家にテント泊しての帰りとの事、黒部の上の廊下よりきつく死ぬ思いであったと言う、7月19〜20日の台風6号が影響してか沢の水量は凄まじかった様である。 |
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百間洞山の家で休憩、若い衆が屋根に布団を干している、飲み水を補給して出発、小兎岳を過ぎると左手に水場の表示、往復10分である、右手にはテント4張位いけそうな適地がある、ここで作戦会議、今日はここから50分程先の兎岳避難小屋に泊まる予定であるが、先日行って来た長島の話では、2009年に補修されたばかりの避難小屋は、 13:00と少し早いがテントを張る。 |
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男性陣が一杯やっていると女性3人は水汲みに行くと言う、身体を拭きたい様子である、しばらくして鶴飼が還って来る、左光とマリアは(上半身OOOで)水を掛け合ってキャッキャとやっていると言う、 ムー・・・・・ 飯炊きは鶴飼である、風が出て来たので隊長は石を積み上げて竈を造る、夕食はアマノフーズのカレーにサラミソーセージを細切りにして入れる、まずまずの出来である。
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【荒川小屋テント場4:45 赤石岳7:23 百間洞山の家10:00 幕営地13:00】 |
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8月15日 幕営地〜聖光小屋 行動 9時間10分(歩行距離 11.1q) 朝食 スープ、餅 夕食 ソーメン
3:30起床、4:45出発、石ころの坂道を40分程登ると兎岳である、聖岳が眼前に聳えている、鶴飼がハイマツの |
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小聖岳に向ってガレ場を下る、振り返るとつい先程まで展望を楽しんだ、前聖岳の山頂はガスの中である・・・・・ 10:05薊畑に着く、聖岳〜三伏峠を計画しているみろく山の会の谷藤、島田、木原さんのグループは今日聖光小屋〜聖平小屋を歩くので、この先我々と会うのではないかと思われる、(彼女達は早朝に聖光小屋を発ち、我々とすれ違いに薊畑を過ぎ聖平小屋へ行っていた)。 鶴飼が「ここ頭注意!」と声を出す、後ろを行く左光は「はあーい」等と言いながらゴツーンとやっている、 ムー・・・・・ |
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苔むした倒木帯を越え大木の広場からは急な下りが続く、造林小屋跡を回り込むと西沢渡の渡渉ロープウエイである、荷重150kg制限のゴンドラを手でロープを引いて渡る様になっている、しかしながらロープウエイの下に、木製の橋があるので橋を渡る。 長島の話では先週橋は無かったと言う、本当かな・・・・・ |
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みろく山の会のメンバーとは遂に会わずに、13:55聖光小屋に着く、左光の靴も何とか持った、テントは長方形の 東屋に張る様にとの事である、テント3張はいける、テーブルが8台、自販機もある、水道は隣の棟に、トイレは10m先で水洗である、素晴しいテント場である、仮に今晩雨が降っても何の問題も無い、関が浮かない顔をしている、自販機でビールを出したら1缶で売り切れとなったと言う、 ムー・・・・・・・・ |
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長島が受付へ行き交渉、6缶をゲットして来る、ウーン、無いよりはいいものの直ぐに無くなってしまう、左光が再交渉に行く、更に6缶と何やら果実酒をゲットして来る、ブルーベリー酒であった、しかしながら、これを造った人は果実酒造りを知らない、ただブルーベリーに焼酎を入れただけなのである、果実のエキスは浸透圧の関係で出て来るので、氷砂糖等を入れなければ駄目なのである、文句を言いながらも薄い色の付いた焼酎も飲んでしまう。 |
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夕食はソーメンである、しかしながら長島はソーメンをザックの底に入れて来たと言う、恐る恐る出して見る、幾らかは折れているものの大丈夫である、早速ソーメンを茹で、洗濯ネットに入れて流水に晒す、容器に盛り、乾燥ねぎ、サラミの薄切りを加え、粉末ツユの素を溶かして掛ける、七味唐辛子を添え頂きまあーす! ウー・・・・・・ 美味い! 隣にテントを張らせて欲しいと若い男性が1人来る、ずんぐりした体形で相当タフそうである。 夜に激しい雨となる、このテント場に感謝である。 |
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【幕営地4:45 兎岳5:25 聖岳7:46 13:55聖光小屋テント場 | |
行動 25分(歩行距離 2q) 朝食 春雨スープ、餅 |
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4:00起床、雨は止んでいる、朝食、テント撤収、パッキング、隣の若者は中国各地の少数民族の地を歩いている と言う、今日は飯田まで歩くと言う(60kmもあろうか)、我々のチャーターしたジャンボタクシーに、割り勘でどうかと聞くとニコニコしてOKである、 |
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易老渡まで歩きジャンボタクシーに乗る、車中、中国青年はいろいろと面白い体験談をしてくれる、住民の大部分が女性という部族の結婚(と言えるか)の話は特に興味深い、祭りの日にこれはと思う男性がいたら、サインを送り、2階の寝室の戸を開けて置くのだと言う、子供が出来ても一定の年月まで決して父親の名を明かさず、従って男性も何時の間にか何処かへ行ってしまい、女性の多い部族となると言うのである。 | |
152号線(秋葉街道)に出た所で坂本が下りる、日本横断F 平岡〜浜松を韓国への長期出張で参加出来なかった坂本は、ここから出来るだけ浜松に向って歩くと言う(青崩峠を経由して水窪までの20km程を歩いた)、その体力、気力は脱帽ものである。 飯田IC近くの健康ランド湯〜眠で入浴、飯田ICから高速バスで新宿へ、12500円の清算をして解散となる。 |
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【聖光小屋5:10 易老渡5:35】 |