日本横断夢の縦走E 奈川渡ダム〜駒ヶ根
(2011.6.24−26 歩行距離 71.1km)

3月中旬に予定していた本山行は東日本大震災の直後であり自粛し、6月24日〜26日に延期しての実施となる、今回も北アルプスと中央アルプスを繋ぐ一般道歩きである。

参加メンバ−

隊長の坪井
ジャンボ高橋
テント生活師範の左光
心配性のマリア
最年少の鶴飼
いぶし銀の関
成長著しい長島
(以上7人、敬称略)
6月24日      奈川渡ダム〜仙洛
            行動   3時間30分(歩行距離 13.5km)
            夕食   天ぷら、蕎麦、雑炊
 八王子駅7時29分発のあずさ1号に乗車、顔を合わせるなり昨日の土砂崩落に依る上高地不通の件に話題が集中する。
 県道上高地公園線「釜トンネル」付近と国道158号線「赤怒谷トンネル」付近で起きた土砂崩落の為、上高地のバスタ−ミナルでは観光バス21台が足止めとなり、観光客ら860人以上が孤立状態、宿泊施設に分散している、松本駅からのバス、タクシ−は沢渡で交通止めである、みろく山の会でも「上高地〜涸沢」を実施しているのである。
 幸いな事に我々は沢渡の手前の奈川渡ダムまでであるので、大型バスに乗り込む(1300円)、乗客は我々7人のみである、途中の島々で隊長はここから島々谷南沢沿いの旧道を行き、徳本峠を経て上高地へ抜けられる事を話す(隊長は昨年この旧道を通り霞沢岳〜蝶ヶ岳を歩いている)。
 11時20分奈川渡ダムに着く、ストレッチの後左光の気合入れで出発、野麦街道(飛騨街道)を南下、トンネルが多いので先頭とラストは反射帯を着ける、ときおり小雨となるので全員傘を使用、休憩時にジャンボが自家製のキュウリに味噌を添えて出す、実に美味い。



 
















寄合渡で野麦峠と分かれ左に入った所の酒屋で缶ビ−ル、梅ッ酒等を仕入れて、26号線(奈川木祖線)のだらだらとした登り坂を行く、程なく本日の宿「ウデイもっく」に着く、会計の左光が受付で夕食、朝食、入浴の時間等を聞いている、朝食は7時と言われたが、掛け合って6時30分にしてもらいましたと言う、木立の中の洒落た2階建てのバンガロ−で荷を下ろし、全部の窓を網戸にし、冷蔵庫の電源を入れて酒類を冷やして早速風呂に行く、ややぬるめの白濁した温泉にゆっくり浸かる、 ウ−ン・・・・・
 風呂から上がった男性陣は部屋に戻り、まだ冷えていない等と言いながら缶ビ−ルを開ける、気の合った仲間と歩き、温泉に入り、木立の中の洒落たバンガロ−でビ−ルを飲む、
しみじみと幸せである、充実した人生の一こまである。



温泉にあきれる程長々と入っていた女性陣も木立の中を戻って来る、 改めて乾杯!
 大食堂での夕食、客は我々のみ、泊り客も我々だけらしい、ともあれ冷えたビ−ルでまた乾杯、前菜は海老の湯葉巻き、タコの唐揚げ、サ−モンオニオンである、続いて天ぷら(カボチャ、ウドの葉、水菜、海老、キス)、さらにカレイの唐揚げ、味噌汁が出た後、蕎麦が出る、小さめの玉が一人3つ、これに具入り汁をかけて頂く、美味しいのであるが、そろそろ腹もくちくなり、隊長は何とか3杯食べる、この後に雑炊も出るのである、左光は蕎麦を1つだけで、もう入らないと言う、「食べられないとどうなりますか?」と聞いて「お持ち帰りになります」等と言われている、左光はジャンボに食べてもらえないかと頼むも「まだある」と素っ気ない、隊長は左光と顔を合わせない様にしていたのであるが、遂に彼女の視線に捕らえられる、「正蔵さんお願い!」、・・・・・ 
この後に雑炊も出るのである、 ム−・・・・・
 左光の目に弱い隊長は結局5杯の蕎麦を食べる、左光は1杯である・・・・・
雑炊も食べ満腹となってバンガロ−に引き上げる。
 1階男性4人、2階に女性3人の寝場所を決めと早々と寝る、夜中にかなりの雨が降る。

6月25日  仙洛〜薮原〜原野
        行動 7時間40分(歩行距離 35.9km)
        朝食  フキ味噌、キャラブキ、サラダ
        夕食  刺身、鯉のアライ、天ぷら、蕎麦がき



 5時20分起床、昨夜の雨は上がっている、朝食 5年前は土鍋で米から煮たお粥であった、大変美味しく期待していたのであるが今回はなし、鯖の塩焼き、フキ味噌、キャラブキ、サラダ等に御飯とごく普通のものであった、しかしながら一泊二食付で6700円は安いと思う。
 6時45分マリアの気合入れで薮原を目指して出発、途中何度も降られるがカッパを着る程では無く全員傘で通す、蒸し暑く汗が目にしみる、45分であっけなく境峠に着く。


















この先は木曽である、なだらかな下りを歩き続ける、左手に薮原の町並みらしいのが見えて来るが、進入路が分からず町の西側の県道進み、町外れから戻る様にして薮原駅に着く、早速電車時刻を調べ、45分後に出る電車で2つ先の原野まで行き、そこから歩いて薮原に戻る事にする、駅向かいの旅館勇屋に荷物を預けると、女将さんがおやつにと、ホウの葉で包んだ蒸し餅を7個持たせてくれる。
 電車は速い、12分程で着いた原野駅(次回はこの駅から木曽駒ヶ岳登山口を目指すのである)より炎天下を歩いて薮原を目指す。
 宮ノ越宿に義仲館があり木曽義仲と巴御前の像が建っている、14時25分勇屋旅館に着く、隊長はジャンボと左光に明朝のタクシ−の予約を頼んで出かける、地酒を飲みたい関の為に酒を買いに行くと云う。
 残る男性陣が風呂から上がっても未だ戻らない隊長を心配して、関が玄関前に出ている、
30分程で隊長は地酒のワンカップとアイスクリ−ムを買って戻る、酒屋が休みで少し遠くまで行ったとの事。






















夕食は鮪の刺身、鯉のアライ、アマゴの甘露煮、ミガキニシンとフキの煮物、天ぷら
(カボチャ、サツマイモ、アスパラ)豚冷しゃぶ、冷奴、ス−プと出される、どうも料理は仕出しの様である、御飯はナカナカ美味い。
 本日の泊り客は我々7人のみである、女性3人、男性2人、男性2人と3部屋に分かれてゆったりと休む、エアコン、扇風機は無く網戸にして寝る、布団を掛けなくても暑い位である。



6月26日    薮原〜高遠〜駒ヶ根
          行動   5時間5分(歩行距離 21.7km)
          朝食   卵焼き、納豆、焼き海苔、サラダ、味噌汁
 昨夜から相当な雨が降り明け方は雷も鳴る、今日はカッパを着て歩く覚悟をしていたのであるが出発間際には止む、予約していたジャンボタクシ−で出発、メンバ−の希望で薮原の街中を通る、道路沿いにある水車、旅籠(はたご)と呼びたい様な古い旅館、江戸時代から抜け出て来たような櫛屋さん、家々の玄関には表札と一緒に屋号が掛けられている、
ここには古い時間がゆったりと流れている。
 361号線の権兵衛峠を越えると眼の前に伊那が広がる、タクシ−の運転手さんの話では、昔木曽から権兵衛峠を越えて伊那を見た人は「伊那は広いな−」と感嘆したと云うが解る気がする。
 高遠で下車、今日はここから駒ヶ根まで歩くのである、歩き始めると突然ジャンボが雑貨店に入って行って菅笠を買う(1050円)、松本からのバスに帽子を忘れたらしい、なかなか格好がいいので隊長も買う、これを被りタオルを首に巻いて田んぼの側を歩くと、


















鶴飼は「まるでベトナム人だね」、マリアは「町に入ったら私に話しかけないで」等と言っている、しかしながら涼しく優れものである。三峰川沿いの遊歩道を天竜川に向って歩く、
 梅の木に実が沢山付いている、丈が低くて採取作業が楽そうである、マリアは「採らないのかしら?」と言う、他人の梅の木を心配する事は無いのである、彼女は1ヶ月程前に梅の木に登って実を大量に採った経験があり、その楽しさが忘れられないのである。
サワグルミの木が実を沢山付けている、桑の木を見つけ、黒く熟した実を食べる、左光は初めてだと言う、ジャンボがグミの実を見つけこれも食べる、更にジャンボは眼の前の「カツの木」の説明をしてくれる、この木は縁起物とされ、これで作った箸で正月3ヶ日を過ごしたものだと言う、但し漆に酷似している為誤って漆で箸を作り、とんでもない事になる例もあると言い、茎に付いている葉をむしって見せる、子供の頃に絶対に間違えない様にと父親に教わった由、漆に弱い隊長は真剣に聞いている。
三峰河川公園近くの道端には、黄色のキンケイギク、ピンクのムシトリナデシコ(別名
小町草)が群生している、通りかかった人が外来種で困っていると言う、きれいだし別に困る事もないと思うのであるが・・・・・































三峰川沿いの遊歩道を下島で天竜川を渡り、国道53号線(三州街道)の交通量を避け、1本西の道を南下する。駒ヶ根まで5kmの表示、マリアが少し遅れ出す、前を歩く左光がさり気なく速度をゆるめてマリアに合わせる。14時20分駒ヶ根駅に着く、缶ビ−ルを買い14時44分発の電車に乗り込む、今日は暑い一日であった。