日本横断夢の縦走パート2 @ 親不知〜白馬岳  
(歩行距離 46.0km)

2005年7月に開始した日本横断は、既に5年が経過した、7ヶ月、13回に及ぶトレ−ニングを経て、2010年7月メンバ−を一新して再び挑戦する。

参加メンバ−

隊長の坪井
ジャンボ高橋
一寸待っての坂本
テント生活師範の左光
心配性のマリア
最年少の鶴飼
最年長の関
新人の長島

以上8名(敬称略)


7月16日(晴)         親不知〜シキ割    
             行動   5時間(歩行距離 6.8km)
             夕食   ソ−メン、焼豚、野菜スティック(味噌・マヨ)
  東京駅7:48発 上越新幹線MAXときに乗車、越後湯沢で特急「はくたか」に乗り換え、10:32糸魚川駅に着く、心配していた雨は無く快晴である、タクシ−の運転手さんの話では昨日は土砂降りだった由、タクシ−で親不知を目指す、途中の海岸でお神酒を注ぎ安全祈願、空いた容器に海水を採取し ザックに容れる、来年に御前崎で流すつもりなのである、タクシ−の運転手さんが前にもそんな人がいたと言う、聞くとどうやら5年前の坪井の事のようである。





  


 栂海新道登山口で写真を撮る、この道は地元さわがに山岳会(代表・小野健氏)が10年の歳月を掛けて拓いたもので、代表の小野氏は誤って伐採した木の弁済をする等、私費を投じて来られたものである。隊長の坪井による気合入れ「日本横断夢の縦走 行くぞ! オー 行くぞ! オー 行くぞ! オー」








   樹林帯の道は草刈がされていて、歩き易いのであるが湿度が高く、猛烈に暑い、二本松峠を越え、舗装道路を横切り、尻高山へ向う登り、歩き始めて2時間程で長島がバテる、隊長の坪井は「ここから帰るかー」等と言っている、アミノバイタルを投与して休憩、坪井、高橋で荷物を分担して進む、と再び長島が大きく遅れる、栄養ドリンクゼリ−を投与して休憩、更に荷物を引き取って進む、ロ−プや梯子の付くかなり急な岩場である金時坂を越え、16:00シキ割に到着、本日の幕営予定地である。







冷たく美味しい水が出ている、早速ソ−メンを茹で、洗濯ネットに容れて、水にさらす、焼豚を切り、シソ、茗荷も刻む、軽量化のため粉末のつゆの素を溶かして使う。

 ウー・・・ 美味い! 薬味をたっぷり載せた冷たいソ−メンは最高である、更に水に冷やしていたキュウリ、人参をスティク状に切り、味噌・マヨネ−ズを合わせた物を付ける、これも美味い。

 道を少し戻った場所にどうにか2張りのテントを張る、大変な1日であったがどうやら無事に終わった、お休みなさい。


【栂海新道登山口11:30 尻高山14:40 坂田峠15:20 シキ割16:30】

7月17日       シキ割〜栂海山荘
            行動   6時間(歩行距離 7.2km)
            朝食   ワンタン入りス−プ
            夕食   ご飯、豚角煮・チンゲン菜、ポテトサラダ、ス−プ
 4:30起床、ワンタン入りのス−プはなかなか美味い、パッキング、テント撤収、ストレッチの後、坂本の気合入れで出発する。

 暑い、団扇を使いながら樹林帯を登る、関の団扇は汗で紙が剥がれてしまい、使用不能となり、坪井が自分の団扇を貸している。

 首に掛けたタオルが汗ビッショリになり、それが気化熱を奪うのか冷たく感じられる、気になる長島は休憩の度に寝ている。

 白鳥小屋先のガレ場を越すと、黄蓮の水場である、ここで各自2リットル位の水を背負う、ズッシリと重い、樹林帯の登りが暫く続くと突然に栂海山荘に出る、5年前より綺麗になっている、最近ペンキを塗り替えた様だ、この小屋はさわがに山岳会管理の無人小屋である、中で女性が2人忙しそうに食事の支度をしている、草刈作業に出ている人達、小野氏が連れて来る早稲田大学OB会等20名の準備と云う。ヘリポ−ト脇にテントを張らせてもらう、名物の展望トイレ等を見ていると草刈ボランティアの人達がボツボツ帰って来る、5時頃帰った小野氏に挨拶、記念写真を撮らせてもらう、5年前にお世話になった事、大学の後輩である事を話すと、大変に喜ばれる。
















本日の夕食は豚角煮・チンゲン菜、ポテトサラダ、ス−プである、チンゲン菜は葉が萎れてしまい今一である、玉ねぎにすれば良かったと反省する、ポテトサラダは上出来である、夕食を摂っていると小野氏が現れ、OB会に紹介するから来る様に誘われる、左光と共にお邪魔すると、まず冷たいビ−ルが出される、電気も水道も無いこの小屋で冷たいビ−ルは大変な接待である、ビ−ルを苦労して運び上げ、雪で冷やしたものであろう、ありがたく頂く、更に夫の獲ったホタルイカを、自分が干したと云う一夜干しを女性が焼いてくれる、海水で洗い、わたを付けたまま干すのだと云う、絶品である。

 興に乗った小野氏は左光のTシャツにサインをしてくれる、前にサインした女性は胸が立派で書きにくかった等と小野氏も言うものである。

 記念写真を撮ろうと外に出る、丁度テントの外にいたマリアも呼ぶ、皆で記念写真を撮り、マリアもTシャツにサインをもらう。








【シキ割6:05  白鳥山7:30  菊石山9:50  栂海山荘12:30】


7月18日       栂海山荘〜朝日小屋
            行動   9時間45分(歩行距離 13.1km)
            朝食   メン・餅
            夕食   ご飯、イワシのゴマ干し、高野豆腐煮物、ス−プ

 3:30起床、うどん、ラ−メンに餅を入れた朝食を摂り、パッキング、テント撤収、

関の気合入れで4:45出発する、10分程歩いて稜線に出ると小屋が見え、小野先生が手を振っている、 先生どうぞお元気で!

 2時間程で着いたさわがに山は展望が良く、海が近くに見える、まだ幾らも歩いていない事を知らされる、黒岩平に来ると、あちこちに雪が残っていて、花畑には水芭蕉、ゴゼンタチバナ、チングルマ、ワタスゲ、シナノキンバイ等百花繚乱である。
















 流れの側で休憩を取り皆で顔を洗う、高橋は頭から水をかぶり、身体まで拭いている、ここから長栂山までは地塘が点在、お花畑が散在している。

 吹上げのコルからは一登りで朝日岳である、360度の大展望である、しかしながら未だ海が見える、 ムー・・・・・

 頂上で大阪から来た中年女性5人組と会う、白馬岳からテントを担いで縦走して来たと云う、やるなー・・・

 頂上から朝日小屋へ下る途中、朝日岳を巻いて雪倉岳へ行く水平道の分岐で男性に会う、この時期水平道は雪のため通行出来ない事もあるが(5年前は通行不能であった)、今回は問題なしとの事、我々も明日は水平道を行く事にする。
 朝日小屋に着く、懐かしいテント場に10張程が張られている、会計の鶴飼に受付に行ってもらう、帰って来ると1人500円でしたとの報告である、隊長は知っていたのであるが、トイレと水はどうなっているかと聞く、聞いて来なかったと云う、テント場ではトイレと水場を聞くのは受付の仕事である等と能書きを言う。

 テントを張ってから木道に腰掛けビ−ルでくつろぐ、本日の夕食はイワシのゴマ干し、高野豆腐の煮物、ス−プである、美味しくいただく。

 大阪の女性5人組が我々の隣にテントを張っている、何と1人ずつ別のテントなのである、試みに夕食のメニュ−を聞くと、ご飯(アルファ−米)にラ−メンとの事であった。軽量化に苦労している事が良く解る。

【栂海山荘4:40  犬ヶ岳4:55  さわがに山6:40  黒石山8:10  吹上げのコル12:40  朝日岳13:25  朝日小屋14:25】


7月19日       朝日小屋〜白馬岳頂上宿舎
            行動   8時間40分(歩行距離 12.8km)
            朝食   ネギ塩ス−プ・餅
            夕食   ご飯、カレ−、海藻サラダ、ス−プ

 3:10起床、ネギ塩ス−プに餅を入れた朝食はピリッとして美味い、隊長のテントの男性2人は黙って食べている、「準備してくれた人、運んでくれた人、作ってくれた人に感謝して、美味い、美味いと言って食べるものだ」と隊長から注意がある。

 4:50出発、テント場から少し離れた水平道分岐で高橋の気合入れ、アップ・ダウンを繰り返しながら行く途中、中年男性と会う、「この道は朝日小屋へ向っているのか」と聞いて来る、雪倉岳から朝日岳へ登る積りで分岐に気付かなかった様である。

 我々も朝日岳への分岐に注意して進む、ところが地図上では分岐から1時間ほど雪倉岳寄りの燕岩に出てしまう、 ムー・・・・・

 ガレ場を経由して登りにかかる、この上が雪倉岳であろうと隊長が言うと高橋はGPSを見ながら、違うと言う、これは赤男山ではないかと言うのである、 ムー・・・・ 

山頂に着くと果たして雪倉岳であった、高橋も坂本もGPSに不慣れである。

目指す白馬岳が前方に見える、ここから3時間30分のコ−スタイムである、今日の正念場だ、白馬岳に向って2筋の山並みが延びている、登山道の付いた左の山並みを行く、時折チングルマ、タカネバラ等が見られるガレ場を登る、三国境(富山・新潟・長野)を過ぎるとあと一登りである、山頂かと思い登って行く、少し早過ぎる、やっぱりその向うに山頂が見える、いよいよ近い、それまでトップを歩いていた隊長は女性3人を前に出す、やったー! 栂海新道を歩き通し、白馬岳まで来た、良くやった、隊長は一人一人握手をする、女性は涙顔である。

テント場を目指して下山、途中で鶴飼が受付に、残りは頂上宿舎の横を通りテント場に着く、鶴飼が戻って報告する、トイレ、水場も聞いて来た。



このテント場はトイレが近く匂うのが難点である、テント設営後、車座になりティ−タイムでくつろぐ。

風が出て来た、関と隊長はかまどを作る、コッヘルの底に火が上手く当たる様に、三方を石で囲んでいる。

夕食は縦走最終日に恒例のカレ−である、1袋525円と高いのであるが、軽くて、美味しいのである、お湯を沸かし袋に入れ、3分程で出来上がる、お湯はどの位入れるのかと男性が聞いて来る、袋に書いてあるのである、乾燥した海藻に水を入れて戻す様に云われると、水をどの位入れるのかと聞く、海藻を戻すだけで後は捨てるので、適当で良いのである、このチ−ムの男性は人に聞き過ぎる、包装袋、地図、計画書を見ると書かれている事を平気で聞く、まだまだ1人前には程遠い。

ご飯の出来は満点である、カレ−も美味い、海藻サラダもチリメンジャコが利いて真に美味い。

 夜、 風が強まる。

【朝日小屋4:50  雪倉岳9:10  三国境11:55  白馬岳山頂12:45  白馬岳頂上宿舎13:30】

7月20日       白馬岳頂上宿舎〜猿倉
            行動   3時間20分(歩行距離 6.1km)
            朝食   メンス−プ・餅


 4:20起床、風が止まない、テント内で朝食、風に手こずりながらテント撤収、カッパの上を着て5:40出発、テント場から離れて長島による気合入れ、隊長より大雪渓は落石に気を付ける様に、雪の上では音がしないとの注意あり。































ガラガラの道を慎重に下る、小雪渓をトラバ−スするといよいよ大雪渓である、隊長よりカッパのフ−ドを脱ぐ様に指示あり、落石を感じる為である。

突然、ガラガラと大きな音と共に落石である、皆息を呑む、隊長より落石の場合は目を離さず、みだりに動かず、落石が自分に近付いた時に避ける様に注意あり。





ゆっくりと雪渓を楽しみながら下る、誰かが「絵葉書と同じだー」と声を上げる、何人もの人と行き違いながら白馬尻小屋に着く、ここではドコモが通話可能で、猿倉までタクシ−2台を頼む。

無事猿倉に下山、ストレッチをしているとタクシ−が来る、汗臭いのを気にして、窓を全開にし白馬駅近くのホテルへ着け、待望の風呂に入る、シャンプ−がなかなか泡立たない、汗と汚れでゴワゴワになったズボンをはき替える、女性はなかなか出て来ない、しびれを切らした男性陣はフロントにことづけて、白馬駅前の食堂に移動、早速生ビ−ルを注文する、がナカナカ出て来ない、見ると接客の小母さんが、サ−バ−の配管をいじくっているのであるが拉致があかない、古来女性は待たせるものなのである、堪りかねた隊長は瓶ビ−ルに変更する、暫くして女性陣も参加、タクシ−代、入浴代、食費等の共同費を   1人当たり7800円の清算をして本山行を終える。

【白馬岳頂上宿舎5:40  白馬尻小屋8:10  猿倉9:00  白馬駅 9:35】