2011年11月25日〜27日
分水嶺25 安ヶ森峠〜荒海山
新雪と 藪を相手の 格闘技 怯まぬ敵に 無心に挑む

ichiran ichiran  map

Aテント MrT(CL)、YmT、KsM
Bテント TuB(SL)、TkZ、YbT

 今回の山行で樹立した新記録を記す事で序文とする
・目的地の直前変更: 4日前
・最低速度記録:300m/時 11/26 12:00-16:00
・寿司詰めテント泊記録: 30cm/人 11/26 6名/212x180cm
・最低速度記録更新:170m/時 11/27 8:00-11:00
・最長匍匐前進距離:のべ数十m? etc.

2011年11月25日 金曜日 晴のち曇り、夜は雪

 平日の7:10 浅草駅から東武線に乗る。初めの内は通勤客で混雑していたが、車窓の風景がのどかになるのにつれ乗客が減っていく。新藤原からは先頭の2両のみが野岩鉄道に入る。野岩鉄道を利用しての山行は3回目になる。今日の目的地、湯西川温泉まで2時間48分の長旅だ。野岩鉄道は、山王トンネルでの中央分水嶺を越えている。福島/栃木県境の中央分水嶺は延長70kmを超えるが、分水嶺を越えている鉄道は野岩鉄道だけだ。分水嶺を超えている通年通行可能な道路も、同じく山王峠をトンネルで抜けている国道121号線だけである。夏の間、車で入れる峠も馬坂峠、田代山峠、安ヶ森峠の3ヶ所しかない。分水嶺を踏破するためには、数少ないアクセス路を最大限に活用した山行計画を立てなくてはならない。
 東北地方南部に初雪が降るのは11月の下旬から12月の初旬にかけてである。分水嶺を歩く上で、雪はとても重要な要素だ。藪を隠してくれることも大きなメリットであるが、第一の恩恵は水が得られる事である。深い藪と切り立った尾根が続く福島/栃木県境の分水嶺では、途中での給水は危険を伴い、大きな時間のロスを生じる。積雪の存在は安心を与えてくれる。一方で、雪が降ると共に、峠に繋がる林道は冬季閉鎖されてしまう。雪の恩恵と冬季閉鎖のタイミングを計りながら福島/栃木の藪三部作の山行計画を立てた。雪のない11月初旬に行程が短く難易度の低い男鹿岳に行き、行程は長いもののエスケープルートが豊富にありフレキシブルな対応が出来る荒海山には確実に雪がある12月に行き、藪が深く途中のエスケープルートもなく最も難易度の高い枯木山には、林道が冬季閉鎖される直前のタイミングに計画することにした。枯木山へのアクセス路である県道栗山舘岩線は11月25日正午に冬季閉鎖の予定となっており、これに合わせて、11月25日の午前中に栃木県側から田代山峠に入る、というワンチャンスに掛けた計画であった。
 しかし、山行申し込み締め切り日の11月14日から降り出した雪により、状況は一変。県道栗山舘岩線は、11/16に前倒しで冬季閉鎖になってしまった。福島側の村道田代山線も、同じく11/16に冬季閉鎖になった。田代山峠まで徒歩でアプローチするとなると、初日はそれだけで日が暮れてしまう。予備日のない日程で枯木山にチャレンジするのは危険すぎる。ということで、いろいろと悩みながら計画を練り直したのが、荒海山を前倒しで実行する計画である。メンバーは6名。平日が日程に含まれているので現役メンバーが参加できなかったが、3人用テント2張りで小回りの効く体勢だ。
 9:58 湯西川温泉で下車して、予約していた川俣観光タクシーに乗る。駅を出てトンネルを抜けると道は山腹を登っていく。この道は今年の7月に開通したばかりの新しい道。はるか下の方では湯西川ダムの建設工事が進んでいる。治水と利水の多目的ダムとして今年度中の完成を目指しているとのことだ。県道から安ヶ森に向かう市道に入る。5分も走ると安ヶ森のキャンプ場が現れる。その直ぐ先で通行止めの表示。9月に12号、15号と2つの台風の襲撃で土砂崩れがあってから通行止めになっている。通れないことはなさそうだったが、運転手はこれ以上先に進む気はないようなのでタクシーを降りる。湯西川で電車を降りた時には、晴れ間も見えていたのだが、霙が降ってきた。日本海側気候の領域に近づいたということだろう。
林道入り口 土砂崩れ現場
タクシーを降りて林道を歩く

台風による土砂崩れの現場

 10:45 軽くストレッチをしてから林道を歩きだす。しばらくすると軽トラックが追い越していった路肩には積雪があるが、水を作れるような積雪量は無いので、途中の沢で水を補給する。途中、2ヶ所ほど崩れている場所があったが、車の轍も残っている。四駆ならば走れそうだ。
 12:38 安ヶ森峠に到着。安ヶ森山に向かう尾根の取り付きにピンクテープを確認。今日は安ヶ森山の先まで行って幕営の予定。まだ、昼を過ぎたばかりだ。でも、ちょっと悩む。稜線は雪が降っていて風もある。稜線上で快適な幕営地を見つけられる保証はない。明日の好天は間違いない。などと理屈を並べ立てた上で、今日は、ここで幕営と決める。少し戻って、路面に落石が無いことを確かめて、風の当たらない擁護壁の前にテントを張る。幕営を決めてしまえば、楽しみは食事とお酒。全員のザックをTuBのテントに放り込み、食料だけ持ってKwSのテントで6人が車座に座る。伸ばした足が絡まって怪しげではあるが中央にバーナを出すスペースを確保。赤ワインで乾杯。チーズも、カマンベール、スモーク、裂けるチーズと種類も豊富。落ち着いたところでメインディッシュの準備にかかる。二つのテント用にそれぞれ準備していた豆乳鍋を順番に作る。最初はYmT班の野菜たっぷりの豆乳風味ゴマダレ鍋。次いでTuB班の豚肉いっぱいの豆乳鍋。心も体も温まったところで、それぞれのテントに分かれて就寝。2張りともゴアテントだが、TuBテントは冬用の外張り付き、KwSテントは外張りはなし。外張りの有無は断熱の差となる。夜中になると深々と冷える。ありったけの服を着込んで寝る。強風にさざめく木々の音が聞こえるが、テントは静か。YbTの寝言を子守唄に、ぐっすりと眠る。
テント設営 豆乳鍋
雪が舞う中、風をよけてテントを張る

具沢山の豆乳鍋


2011年11月26日 土曜日 晴

 4:30起床。星が綺麗だ。風も治まったようだ。鍋の残りをおじやにして食べる。
 6:10出発。TkZを先頭に尾根に取り付く。最初は急坂だったが尾根に出ると踏み跡がはっきりして歩きやすくなる。乾いた雪がキュッツキュッツと音を立てて気持ちが良い。上を見上げれば青空、風もない。
 7:50−55。安ヶ森山で休憩。標高差200m、水平距離1kmを100分。まずまずのペースだ。ここで藪に備えてKwSが先頭に立つ。踏み跡はなくなるが、それほど厳しい藪ではない。
テント設営 豆乳鍋
歩きやすい樹林を抜けて安ヶ森山に向かう

安ヶ森山

樹氷の藪
樹氷が綺麗、藪は恨めしい

太郎岳は遠い
手の届きそうな太郎岳に足は届かない

 9:32−45。1363mのピークで休憩。正面には荒海山から西に伸びている尾根が見える。笹の急斜面の上には白い線が続いている。道があるように見える。あそこまで行ったら、アイゼンをつけて歩こうなどと陽気に話しながら先に進む。しかし、このあたりから尾根が狭くなり、藪が厳しくなる。尾根にはシャクナゲをはじめとして常緑樹、針葉樹、多彩な潅木が入り混じっている。さらに縦横無尽に張り巡らされた強靭なツルが前進を阻む。栃木側の斜面は笹薮なのだが、切り立っていて歩くスペースがない。福島側も急な斜面で、とにかく正面の藪に向かっていくしかない。
 13:50−14:00 1475mピークを過ぎたところで休憩。ペースは全く上がらない。荒海山まで直線で1km。道の様に見えていたのは、笹薮の肩についていた雪だった。踏み跡すらない藪。今日中にたどり着けるかどうか不安になる。尾根の潅木につかまりながら、栃木側の笹薮の縁をトラバースしたり、福島県側をシャクナゲの藪を空中遊泳で越えたり、尾根の潅木の下を匍匐前進で抜けたりと、弱点を突きながら何とか進む。
 16:10 1560mの次郎岳にたどり着く。荒海山というのは福島側での名前で、栃木県では太郎岳とよばれる、そして、西側にあるサブピークに次郎岳という名前が付いている。太郎岳の頂上にはテントを張れるスペースがあることが分かっているが、このペースでは明るいうちに太郎岳にたどり着くのは絶望的だ。「ここなら一張り張れる」との声も上がるが、朝起きたら下の方にずり落ちていた、なんて可能性があるような場所で却下。次郎岳の頂上で、膝を抱えてビバークしようという声も上がるが、明日のことを考えると、もう少し体が休まる寝方をしたい。東側の尾根の下を覗くと鞍部に笹原が見えた。テントが張れるかどうかはわからないが、とにかくそこまで降りることにする。かなりの急斜面。木につかまりながらお尻で滑っていく感覚だ。3m程の岩の斜面を滑り降りて、枝を掴んで停まり、右の緩斜面に入る。少々焦りながら進んでいくと、後から「わたし、降りれな〜い」とかわいい声。戻ると先ほどの岩の斜面でTuBが躊躇している。木に掴まって制動できなければ左の急斜面に落ちていってしまう。確かに危険な場所だ。ホームベースを守るキャッチャーのように構えて、滑り込んでくるランナーをブロックする。五人の猛攻を無得点に抑えて、さらに鞍部に向かって下る。
 16:40 上から見えた笹原は急な斜面でテントを張れなかったが、鞍部にテント一張り分のスペースを見つける。KsMのテントを張り、防寒のためTuBのテントの外張りをかぶせる。ザックにはTuBのテントを掛ける。6人でKsMのテントに入る。昨夜と同様、足を絡ませ合いながらも無事に寝床を確保できたことに安堵して乾杯。黒霧島とブランデー。御飯は今日もTuBが炊く。KwS好みの炊き上がりを狙ったようだが、僕好みの炊き上がりになった。さすがにこれだけ狭い場所で炊くと、弘法も筆を誤るようである。2日目の軽量&美味献立の定番となったアマノフーズのドライフーズ。YmT班はマーボ茄子。TuB班は中華丼。中華丼は、ちょっとパンチ不足、との評であった。さて、ここからが大変。昨日は、2つのテントに分かれて寝たが、今日は、このテントで6人が寝なくてはならない。奥から順番に頭と足を交互にしながら寝る体勢を取る。なんとか全員が納まったが、満員電車のようで身動きが取れない。一度肩が浮くと、なかなか着地できない。という状態だ。寝たような寝ないようなという状況が続くが、膝を抱えてのビバークを思えば、天国のようなものだ。熟睡感はないが、体の疲れは癒えていく。
テント設営 豆乳鍋
次郎岳を下って見つけたスペースにテントを張る

テントは天国


2011年11月27日 日曜日 晴

 5時になり、さあ起きよう、ということになるが、これがまた一大事業。一人が起きてシュラフを片付けてスペースを作らないと次の人が起き上がれない。順番に起きていって全員がおきるまでに15分ぐらいかかる。なんとか、皆、今日、行動ができる程度には休息が取れたようだ。失敗したのはマットの敷き方。3人テントだからと4つだけ個人マットを敷いたのだが、3つはショートだったので隙間が出来てしまっていた。もう一度、寿司詰めテントを体験したいとは思わないが、そのような機会があったら、隙間なくマットを敷くこと。マットの下に詰め物をするなどしてなるべく水平にして、寝ている間のずり落ちを防止すること、が教訓となった。餅入りうどんで体を温めて出発の準備をする。5時起き6時半出発の予定にしていたのだが、あっという間に7時を回ってしまった。明るくなってからのテントを撤収しようと起床を遅めにしたのだが、鮨詰めテントの時には、出発準備に相当時間がかかるというのも教訓になった。
 7:20 目の前には岩峰。念入りバージョンのストレッチをしながら、登攀ルートを考える。僕は、岩峰を右から巻くルート、TuBは、岩峰を左から巻くルートを候補にする。KwSに先頭に立ってもらって、先ずは、右側にアタックするが、岩の脇まで藪が迫っていて取り付けない。そこで左側に回るが、手がかりのない雪の斜面で登れない。岩を登るしかない。ロープを出してKsMに空身でリードクライミングをしてもらう。僕が2番手に上がりKsMを下ろす。TuBに上がってもらい、さらに上部のルート工作をしてもらう。上部の岩場はシュリンゲ3本で安全を確保。全員が上がるのに、約一時間半を要した。テントを張った場所からの水平距離は30m程度。ここだけを取れば、時速20mと、最低速度記録更新であるが、ロープを使った行程は「歩き」ではないので非公認記録としておく。目の前に太郎岳が見えるのだが、遅々として近づいてこない。10歩も歩くと行く手を阻まれ、その度に、右に左にルートを探す。左の急斜面はロープを出して懸垂トラバースをし、左の潅木帯はザックを下ろして匍匐前進で藪を潜る。どうにも困った時には、YbTの新技「飛び込み」だ。ザックを背負ったまま両手を広げて藪に飛び込む。砕氷船が氷に乗り上げて船重を掛けて氷を割るように、ザックを加えた体重で藪を薙ぎ倒して道を作る。藪漕ぎとは、格闘技だったのだ。太郎岳を目前として目処と思っていた11時を越してしまう。テントを張った場所から600mもない距離を進むのに4時間近くを要したことになる。
岩壁 ロープ登攀
さて、どこを登ればいいの?

ロープを使って岩場を登る

 11:15−30 今日は、ここまでかなぁと内心思いながらも、弱気な顔は見せずに荒海山西峰の頂上に立つ。まだ終わりじゃないのに、と思いながらも目的とした頂にたどり着いた事を祝って皆で握手をする。北の尾根に続く登山道と、避難小屋の状況を確かめる。ここの避難小屋は、元々はロボット雨量計を設置するための小屋だったものであり、あまり寝泊りすることは考えられていない。不釣合いな机や、棚が作られているが、足を伸ばして寝れるのは3人が限度だろう。登山ノートを開いてみると、最新の日付は2011年10月28日、その前は、2010年10月、その前は、2009年6月。やはり、マイナーな山なのだ。ザックを担いで三角点がある東峰に向かう。東峰まではしっかりとした道が付いている。
荒海山西峰 荒海山東峰
避難小屋がある荒海山西峰

二等三角点がある荒海山東峰

 11:35−12:10 東峰でも記念撮影をした後、東側の尾根を偵察に行く。ここの80mの下りが、今回のクライマックスと思っていたところだ。覗いてみると10mぐらいの斜面があって、その下がテラスになっている。テラスまでは降りれそうだったが、その先は、全く見えない。今日、なんとかしていきたいと思っていた高土山ははるか先だ。観念して登山道経由の下山を決める。こうなれば、ゆっくりと眺望を楽しめる。この山は360度の眺望の山としても有名なのである。雪を被った山々が沢山見える。あれが、男体山、こっちが日光白根、あれは会津駒、七ツ石岳の向こうに見えるのは何?と会話が弾むが、なかなか、意見がまとまらない。パノラマ写真を撮って、答え合わせは下山後の楽しみとする。
会津駒ヶ岳 七ヶ岳
綺麗な雪化粧の会津駒ヶ岳

七ヶ岳の奥に頭を出す飯豊連峰の大日岳

 12:17 西峰をあっさりと通過して登山道を下る。直ぐに急な坂になる。かなりの急降下。周りの木に掴まったり、ピッケルで確保しながら慎重に降りる。それでも、道というのはありがたい。少なくとも、前進できるという保証がある。
 13:16−25 1380mのピーク手前で休憩。昭文社の地図では、1:40の所要時間となっている部分の1/3にも到達していない。そんなにゆっくり歩いているつもりはないのだけれど、やはり藪との格闘で疲れているからだろうか?あるいは、地図の表記がおかしかったか、道が荒れて所要時間が延びたのか。尾瀬で小渕田代から降りたときにも、地図の所要時間がおかしい、と思ったけれど、次に登った時には、ほぼ所要時間で歩けた。今回も、藪の疲れのせいでペースが落ちているだけなのかもしれない。そうは、思いたくないけれど。十分に余裕をとって、16:30に迎えに来てもらうようにタクシーを予約する。さらに、くだりが続く。突然、前方から、「キャー」という声と、「落ちた」という声が聞こえ、緊張が走る。2秒後に笑い声が聞こえて安堵するが、なにかが起きたようだ。様子を見に行くが、落ちたTuBも何が起こったか分からない。2番手のYbTも突然消えた、と言うだけで、どんな曲芸が行なわれたのか良くわからない。現場は1mぐらいの段差があり、その下からは、ロープで急斜面を降りる場所。ちょっと間違えば危ないところだった。もう一度休憩を取って、最後は僕がトップで降りる。兎の足跡が我々を導いてくれる。と思って歩いていたら、急に大きな足跡が出現。明らかに熊のものだ。それも新しい。奇声を張り上げながら下る。尾根筋から沢筋に曲がってからも、ロープが断続的に現れる。比較的高度のあるトラバースもあり、雪が多くなると、ちょっと怖いかもしれない。
荒海山西峰 荒海山東峰
ロープを頼りに旧坂を下る

クマさんとウサギさん

 15:47−55 沢筋を降り切ったところで2回渡渉をして林道に降り立つ。林道をしばらく歩くと、登山届けのポストがある。「登山道の草刈作業は、当地の三滝温泉旅館の主人がボランティアで行っております」との張り紙がある。荒れた道だなぁ、と思っていたけれど、77歳のおじいさんがコツコツ作業してくれていると思うと、感謝しないわけに行かない。しばらく歩くと、予約していた田島タクシーが待っていた。このタクシー会社はいつも親切なのだけど、今日の運転手は愛想がない。2週間後に、また来ます、というと、この道は、雪が降ったら通れないね、とつれない返事。
 16:40 慎重な運転で林道を下って、県道に出ると直ぐに「夢の湯」に到着。ゆっくりと汗を流してから、歩いて駅に向かう。ところが、前回、キノコ尽くしを楽しんだラーメン屋さんは照明が消えて真っ暗、駅の売店もシャッターが閉まっている。仕方なく、「夢の湯」に戻って、なにか食事を出してもらえないかとお願いする。初めは、南相馬からの避難している方に食事を出す時間で人手が足りないから、といっていたが、我々のために暖かい部屋を用意して、うどんと熱燗を出してくれた。サービスとして山盛りで出してくれた大根の漬物も甘酸っぱくておいしかった。
 18:37 会津高原駅から電車に乗る。2週間後に、今回の最終目的地、山王峠から荒海山を目指す予定。今度は、予定通りに歩きとおせるだろうか?前半は鉄塔巡視路があるものの、行程は今回歩いた距離よりも長い。

 分水嶺を歩いた諸先輩方が苦労した山域。覚悟をして望んだつもりではあったが、予想を遥かに越える極上の藪だった。上越の豪雪地帯のマガリタケを主とした強靭の笹薮とは異なり、雑多な植物が入り混じった複雑な植生がバリケードのように痩せた尾根を覆う。残雪期ならば楽に歩ける、というような地形でもない。時間をかけて根気強く進んでいくしかない。頼れるのは自分たちの力だけ。これまで二十数回の山行を重ねてきて、確実に力をつけてきた。時間はかかるかもしれないが、大学山岳部が藪トレに使うようなコースを突破する力がある。どんな難所に差し掛かっても、それに立ち向かい達成感に代える術を身につけてきた。ゴールできるかどうかはわからない。今の目標は、無事故で山行を重ねていくことである。

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