2011年7月29日〜30日
分水嶺21 黒岩山〜馬坂峠(敗退)
水攻めに 思いを残し 尾瀬沼へ 目指す道は 遥かなりけり

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 昨年の11月、尾瀬から帝釈山を経て安ヶ森まで4泊5日で歩く計画を立てた。しかし、関東地方に台風が近づく気象状況に栃木県境のロングコースを諦め、本谷山〜丹後山への計画に変更した。そして、初日に十字峡小屋に入ったものの、日本海側の天候が回復せず、台風が南にそれた尾瀬に転戦した。今回の計画は、その時の終着点、大清水から黒岩山をへて馬坂峠を目指す2泊3日の計画である。
 シリーズとして山に行っていると、鬼門というべき場所が出てくる。分水嶺の場合には、ひとつは上越 十字峡。前述の敵前逃亡の他、今年の5月にも大水上山からの兵站切れの撤退があった。そして、今回の尾瀬 大清水。結果的には、ほんの2km程しか分水嶺の行程を進められずに撤退。新たな鬼門となるかもしれない。

7月29日 金曜日 雨

 黒岩山から三本槍岳に至る福島/栃木の分水嶺。その間、ほとんど登山道がなく、藪の道が続く。残雪が藪を覆ってくれる4月から5月にかけてが踏破のチャンスであるが、その時期だけに限定していては、いつまでも前に進まない。ある程度の苦行は覚悟して、無雪期の山行も計画しなくてはいけない。福島/群馬/栃木の3県境に当たる黒岩山から馬坂峠の間は、昔は生活のための道があったこともあり、また、秋季の縦走の報告もなされており、比較的歩きやすいことが期待される。そこで、夏、真っ盛りの7月末に計画を入れた。今年の夏は、異例に早い梅雨明けの後、暑い日が続いたが、7月下旬に入り、雨が降る日が増えるとともに気温が下がった。山行を計画した7/29からの三日間も、週間天気予報の降水確率は50%前後で、予報天気図を見ても二つの高気圧の狭間の気圧の谷が居座り、好天は期待できない。しかし、最高気温の予想が27度程度と低く、藪山行としては、むしろ好条件であると判断して決行を決めた。
 6:32発たにがわ401号に乗る。特急「はくたか」が運休、上越線も水上より先は運休しているとの車内放送が入る。早朝の天気予報で、関東北部から信越にかけて大雨警報、洪水警報が出ているのは把握していたが、天気図では、高気圧の間の弱い気圧の谷に入っているだけで、大荒れにならないだろうと思っていた。高崎で上越線に乗り換えても、雨は降っておらず、東側の山並みにかかる雲も厚くないが、利根川の流れは、今まで見たことのないような濁流にだ。携帯でアメダスの画像を見ても、雨の中心は越後側だが、利根川にこれだけ水があるということは、群馬県側でも、相当の降雨があるということだ。
7/30 12:00 天気図
7/29 12:00の天気図。前線は30日昼頃まで停滞し、ほとんど動かないまま天気図からは消滅した

7/20 12:00 レーダ図
7/29 12:00の雨量
雨の中心は、新潟県だが尾瀬周辺でも毎時20-30mmの雨量があった。29日の夜には福島側で豪雨となった。
 8:40 沼田から大清水行きのバスに乗る。乗り合わせた人が、尾瀬沼で流された木道の修理に向かうところだと言う。バスの運転手も、現在は鳩待峠とのシャトルバスも運行しているが、いつ止まるかかわからない状況と言う。片品川も激しい濁流。少なからず不安な気持ちになる。戸倉で他の客を降ろして、われわれだけを乗せて大清水に到着。準備をしていると林道のほうからツアー客が降りてきた。尾瀬沼から降りてくる道は大丈夫なようだ。我々が計画している道は、沢筋の道で渡渉もあるので、どこまでいけるかわからないが、今回の雨は、風は伴わないので、尾根に登ってしまえば、何とかなるだろうと思って出発する。
 10:20 はじめは奥鬼怒林道を歩く。雨は小降りではあるが、右側には中ノ岐沢が轟音を立てて流れている。
奥鬼怒林道 沢歩きの登山道
奥鬼怒林道を歩き出す。

登山道は沢と化す

GPS差異
登山道への取り付きは昨年11月のトレースと一致していた。その後のトラバースは別ルートを歩いたようだ

 11:31−40 小淵沢との合流で最初の休憩。昨年11月に山葡萄を拾いながら歩いた林道に入る。
 12:30−42 小淵沢を橋で渡ってしばらく歩いたところが登山道の取り付き。前回下るときにルートが不明確だったところ。ここが前回降りたとこだろう、という場所があったが、ガーミンの地図だともう少し先が取り付きになっているので、林道をさらに3分ほど登ると、小淵沢田代へとの標識が立っていた。ここで、2回目の休憩を取る。前回下山したときには標識が見当たらなかったので、ルートを間違えたのだろうとの話になるが、帰宅後にGPSの軌跡を確認したところ、昨年11月に下山した時のトラックと正確に一致した。岩場の登りは沢のようになっているところもあったが、トラバースに入ると歩きやすい登山道になった。どうも、前回下山したときとは違う道のような気がしたのだが、記憶とはあいまいなものだ。意識をしてゆっくりと歩く。今日は2番手のTaKは快調だ。ところが、最後尾のKwS,TbIから早い、との声がかかる。1750mまで登ると傾斜がゆるくなる。しかし、それと同時に登山道の水が増えてきた。登山道は川の状態。脇の高みを選んで歩いていくが、だんだん靴の中が湿ってくる。今回は、藪に備えて着古した雨具を着てきたので、全身ずぶぬれ。気分も沢登りになってきて、水の中をざぶざぶと歩く。
渡渉 分水嶺の尾根
小さな沢を渡渉。気分は沢登り

分水嶺の尾根にたどり着く

 14:00 尾瀬沼からの登山道と合流。ここからが分水嶺である。分水嶺上には川は存在しないはずである。しかし、ここから先の道も川となっている。登山道は、分水嶺から数十メートルほど群馬側に作られている。わずか数百平方メートルの領域に降った雨が、川となっているのである。やはり尋常の雨ではなかったようだ。しばらく行くと送電線の下に開発の碑が建てられている。只見幹線 竣工記念 昭和三十四年と書かれている。只見川の田子倉発電所から東京に電力を送る送電線。単線の架空線の2系統で、あまり大電力を遅れるようには見えなかったが、大雨で得たエネルギーを懸命に首都圏に送っているのだろう。しばらく行くと袴腰山を福島側に巻く。これまで手前に流れていた水の流れが逆向きになる。この水は只見川水系のいくつかの発電所のタービンを回した後、日本海に注いでいく。トラバースを終え、尾根を少し下ると鞍部に着く。GPSは赤安清水であることを示しているが、標識もないしウェブで見たテントを張れるようなスペースも無い。もう少し先に行くと広いところがあり、赤安清水の標識があった。小型のテントを張れるスペースがあったが、水溜りになっている。周辺を探索していたら、TaKが上のほうから良い場所があると声をかけてくる。行ってみると丁度分水嶺の尾根上にスペースがあった。多少斜めになっているが、ここならばどんなに雨が降っても浸水する心配は無い。
只見幹線記念碑
只見幹線の鉄塔と開発記念碑

テント設営
前室がゴアテントは設営中に水が入る

多少の傾斜はがまんがまん
多少の傾斜は、がまんがまん

 15:30 雨の中、テントをはる。赤安清水の標識の裏手をトラロープを伝って下ったところに水場がある、という情報だったが、今日はどこでも水場の状況。近くを流れている水を汲んでみたが泥が混じってしまい飲む気が起こらない。木の幹を伝ってきた水を集めると綺麗な水が得られたが、時間がかかる。溜まるまで待っていたら体が冷え切ってしまう。結局、フライシートの下にコッフェルを置いて雨水を集めることにした。靴を脱いで靴下を絞る。ズボンも脱ぐ。軽く1リットルぐらいの水が絞れた。そのまま、着なおして、後は着乾しをする。
 ホットワインで乾杯をしてから、夕食の準備をする。メニューは、食べるラー油で焼き鳥と野菜を炒めた新メニュー。御飯に乗せて食べると、野菜の食感とスパイシーな味のバランスがとても良い。ラジオで天気予報を聞く。新潟、福島では大雨の被害が出ている様子。激しい雨は明日の明け方までだが、明日も午後は所により雷雨が予想される。明後日も、雨が残るようだ。明朝は、3時に起床、雨が激しくなければ4時半に出発と決めて就寝する。Tシャツは、ほとんど乾いたが、ズボンは未だ濡れている。そのまま、サマーシュラフに潜り込む。テントを叩く雨の音はうるさいが寒くは無い。

7月30日 土曜日 曇り時々雨

 3:30 起床。昨日の御飯でおじやを作る。雨は昨日と同じような降り方だ。これならば、予定通り出発できると思っていたら、隣のテントから声がかかる。男性2名が体調不良とのこと。一人は、夜中に体が冷えて乾いた服に着替えたが、今日も雨中のテント泊だと低体温賞になりそうと。もう一人は、微熱があるとのこと。びっしょりと濡れた服のままで寝たのが悪かったのであろう。持ってこれる着替えには限りがあるので、やはり、濡れた服のままで、体を冷やさない工夫が必要だ。僕の場合は、一旦服を脱いで、絞ったのが良かったようだ。素材でいえば、化繊よりもメリノウールの方が良いようだ。ここまで着て撤退とは悔しい。即断できず、しばし悩むが、これより先に進むと撤退できなくなるので、選択肢は一つしかない。明るくなるのを待ってからテントを撤収して尾瀬沼経由で撤退することとする。
 5:15 ストレッチをして出発。雨は、ほとんど止んでいるが、遠くで時折雷鳴が聞こえる。登山道の水量は、昨日より少なくなっているようだ。
 5:53−6:00 袴腰山のトラバースを終えたところの丸太の上で休憩。昨日も通過した分水嶺と登山道がクロスするポイント、標高 1955mが今回の最高地点となった。迎えをお願いしていた田島タクシーに電話をして予約をキャンセルする。6月の田代山〜帝釈山の時にも予約をキャンセルしている。この時は、参加者が多すぎてチャーターバスに切り替えたためのキャンセル。申し訳ないと思うが、こちらも悲しい。「次の機会によろしくお願いします」との声に、「今度は10月にチャレンジします」と言おうとも思ったが止めておいた。小淵沢沿いに下る道を左に分けて、小淵沢田代に向かう。湿原に近づくにつれて登山道の水量も増えてくる。
 6:40 小渕沢田代の木道も10cm程の深さに浸水し、川の様になっている。キンコウカが一面に咲いている。小淵沢田代は、正に分水嶺上に在って、前回歩いた時には、ここの水はどこに行くのだろう、と疑問に思ったが、今日は、水の流れが、その答えを教えてくれる。日本海に向かう水の流れをじゃばじゃばと蹴散らしながら湿原を歩く。湿原を抜けたところで、道が二手に分かれる。朝の段階では大江湿原によることも考えていたが、槍高山を越える最短コースをとることにする。滑りやすい木の階段を登り、分水嶺の尾根を左に見送って、尾瀬沼に下りる。
小淵沢田代 一面に咲くキンコウカ
小淵沢田代 水位は木道プラス10cm

一面に咲くキンコウカ

 7:43−58 昨年11月にテントを張ったサイトを通過して尾瀬沼キャンプ場のトイレの軒先を借りて休憩する。夏の観光シーズンというのに人は少ない。案内図によれば、ここまで歩いてきた道は登山道、これから三平峠を越えて大清水に向かう道は歩道、という表示になっている。もう危険な場所は無いだろうと思っていたが、沢が流れ込むところでは、木道が流される寸前の状態だった。
木道を超えて尾瀬沼に沢が流れ込む 尾瀬沼も人気がない
木道を超えて尾瀬沼に沢が流れ込む

尾瀬沼のメインルートも行きかう人はわずか

コオニユリ ニッコウキスゲ
コオニユリ

ニッコウキスゲは旬を過ぎたいた

 8:38−41 木道と階段が繰り返される道を登っていくと三平峠に着く。槍高山から続いてきた分水嶺がこの峠を通っている。そろって記念写真を撮る。さらに滑りやすいも木道を下っていく。
 9:10−16 岩清水のベンチで最後の休憩。少し下ったところに水場がある。今日は、どこでも水場の状態ではあるが、水場のパイプからでている水には泥などの汚れが入っていないのはさすがである。
三平峠 ナメ沢の濁流
三平峠で記念撮影

ナメ沢の濁流

 9:39 一ノ瀬の休憩所を通過。ビール、氷の登りが立っているが、今日はどちらも遠慮しておく。ここから先は広い林道だが、jyarimichi を深くえぐりながら水が流れている。途中で軽トラックとすれ違う。よくこんな道を走れるものだ。
 10:30 大清水に到着。ストレッチをして11:03の沼田行きのバスを待っていると、売店の人が声をかけてきた。大雨の影響で戸倉−大清水の間が通行止めになっていてバスも運休しているとのこと。ここが通行止めになるのは滅多に無いとのことで、今回の大雨は異例の事態のようだ。歩けば2時間かかるとのことだが、いろいろな方のご好意もあり、戸倉12:02発のバスに乗り込むことができた。立沢下で降りて、わたすげの湯に入り、水芭蕉で昼食とする。ここはいつも、季節のものを何かサービスしてくれる。今回は、トマトとキュウリ。そして、外には今朝取れた大根、ご自由にお持ちください、とあった。再びバスに乗って、沼田駅に到着。やけに人が多いと思ったら、SLの運行日だった。D51が引くSL水上号を見送って、後続の普通電車に乗る。
大清水 利根川の濁流
ようやくたどり着いた大清水

上越線の車窓から見た利根川の濁流

 車窓からは濁流の利根川が見える。改めて情報を確認すると福島側の被害がかなり大きいらしい。国道352号線も土砂崩れで不通とのこと。もし、撤退せずに馬坂峠まで行き着いていたとしても、そこから先の帰宅路は絶たれていたということだ。結果的には、撤退は賢明な選択だった。次の分水嶺の予定は10/8−10である。今回の山行が完踏出来ていれば、田代山から安ヶ森峠を目指す予定だった。今回とは比べ物にならないヤブ、そして、急峻な尾根で水場がないルート、どう攻めるか悩んでいたのだが、とりあえず先送りする。10月は、今回のリベンジに当てる。

 天候の判断、進退の判断は難しい、と何度か山行記に書いたが、やはり、永遠の課題である。今回、判断のポイントは2回あった。1回目は初日の朝。前の晩から大雨、洪水警報が出る状況になり、山に入る前に中止する判断もあった。これについては、気圧配置からして強い風は吹かないと判断したこと、現場での降雨の状態がそれほどひどくなかったことから登山開始を決めた。間違った判断とは思っていないが、警報が出ている地域の山には入らない、というのも、ひとつの考え方だったろう。2回目は、2日目の朝の出発の段階。今回は体調不調者がいたので撤退を決めたが、皆の体調がよければ続行していたように思う。その後の雨の状況からして、馬坂峠までは行けたとも思う。ただし、福島側の交通寸断により予定の期日には帰宅できなかっただろう。結果的には、退路が確保できている段階での撤退が正解だった。中央分水嶺は長大な計画であり、それなりの覚悟で難関を乗り越えていかなければならない。しかし、命を懸ける価値のある冒険ではない。あくまで、無事に下山した後、ルートを延ばしたことに自己満足するために登っているのだ。これからも、行ける可能性があるときには、とにかく現地に行く、但し、危険の可能性がある場合には、躊躇無く撤退の判断をする、という方針で臨む。

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