2月に天候不順で中止した分水嶺15−北八ヶ岳、東日本大震災により自粛した分水嶺16−枯木山と、ふたつの中止を挟んで半年振りの中央分水嶺踏破の山行。目的のコースは、昨年10月に途中撤退した本谷山から、大水上山、平ガ岳、至仏山を経て尾瀬に至る利根川源流部を縦走する4泊5日のロングコース。前週、前々週と2回のリハビリ山行を丹沢で実施して、なまっていた体を鍛えなおして臨んだ。
チーフリーダMr、サブリーダTbのいつものコンビに、Takちゃん、藪クイーンYs、どんぶり姫Ym、フーテンのMk、元祖ちょっと待ってのKs、ベテランIw、トレーニングを重ねて満を持して参加のToK、突撃隊長Hr,それに分水嶺初参加者として、生まれながらの藪屋のYbを加えた11名の大パーティーでの挑戦となった。
4月30日 土曜日 曇
相鉄に乗り込んで座席に座った瞬間に携帯電話を忘れてきたことに気づく。昨夜、念のために思い充電器の上に乗せたのが失敗だった。緊急時の連絡の他に、気象情報を得る為にも、リーダとしての必携品であるが、取りに帰っていては間に合わない。他のメンバーに頼ることにして東京駅に向かう。これが今回の山行のケチのつきはじめだった。
7:00発の「Maxとき303号」に乗る。2号車の後方の1階席部分を占領。連休の割には混雑していない。越後湯沢で在来線に乗り換えて8:41に六日町に到着。予約していたジャンボタクシーと中型タクシーに分乗する。運転手の話によると、今年はまだ十字峡までは入れないとの事。果たして三国ダムの下で通行止めとなる。右側の道は片側車線のみの閉鎖だったので、そのまま進んでもらうが、直ぐ先のしゃくなげ公園で通行止め。
9:15 ここで下車して歩くことにする。ヘアピンの車道を歩いていくと、ダムの上部に出る。左岸の道は完全に雪に覆われていて歩ける状態ではない。ダムを渡って右岸の道を歩く。こちらは除雪されている。道端には蕗の薹が沢山あったが見るだけにする。一時間半ほど歩くと、突然、車道に雪が現れた。後で聞いた話によると、新潟県も震災被災者の受け入れなどに予算を回しており、今年は必要性が低い道路の除雪はしないことに決めたのだそうだ。先がどうなっているか分からないが、危険箇所のトラバースがあることも考えて、念のためアイゼンをつける。しばらく歩いていると、対岸でドーンという音する。見ると法面の雪がブロック雪崩を起こして車道に落下していた。この光景を見てしまうと、十字峡から栃ノ木橋までの林道を歩く気はなくなってしまった。サブコースとして考えていた中ノ岳経由のルートで大水上山に向かうことにする。栃ノ木橋に入れれば、本谷山に登り、分水嶺12で歩いたルートと接続できるのだが、ここでリスクを冒すことはできない。左前方には山の上には日向山の雨量観測所が見える。今日の幕場予定地だ。結局、アイゼンが必要な箇所はなく、11:16に十字峡の小屋に到着。
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雪に埋もれた十文字小屋
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中ノ岳登山道入口
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11:30 アイゼンを外して、中ノ岳への登山道に入る。コンクリートで固められた法面に作られた階段を登るとイワウチワの花が迎えてくれた。しばらく登ると雪が現れてアイゼンを付ける。途中の鎖場にも雪は付いておらず、難なく抜ける。日向山への最後の登りは、雪の急斜面だ。ここでHrが遅れだす。相当に苦しそうな表情だ。Hrの初日のブレーキは想定内。テントの入ったHrのザックとTokのザックを交換し、Tbと共にゆっくりと登ってきてもらう。僕は一足先に雨量観測所まで登ってザックをデポし、テントの設営をKsにお願いしてから、登ってきた斜面を60mほど下降。Hrのザックを背負って登り返す。16:28 雨量観測所の先を少し下がったところに絶好のテント場があり初日の幕営地とする。
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残り60m がんばれ!
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日向山 幕営地
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リーダテントは、Tb,Iw,Yb、Mrの4名。呑み助はYb,Mrの二人。尾瀬で摘んだ山葡萄のお酒で乾杯した後、Ysに差し入れてもらったヒレでヒレ酒を作る。バーナを3台使って、みりん干しを焼いたりと大いに盛り上がる。自称飯炊きおばさんのTbも山ぶどう酒でほろ酔いだったが、炊き加減は体で覚えているようで、おいしいお寿司が出来上がった。Hrのテントには、Ys,Ym,MrK。Hrは食事も酒も受け付けない様子。今日はちょっと重症かもしれない。お仕事大変なのネ。Ksテントは、Tak、Tokとノンベイが揃って盛り上がっているようだ。
5月1日 日曜日 曇
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中ノ岳を目指して出発
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ロープを使って1936mからのリッジを下る
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スノーブリッジの下は大きな空洞だった
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大水上山の手前にテントを張る ここに23時間以上留まることになる
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3:30に起床。5時に出発の予定だったが、5:30に出発。今日は午後から雨の予報だが、今のところ、高層の雲が中心。ときどき低い雲が南の方向に流れていくが地上の風はそれほど強くない。中ノ岳の登山ルートが正面に見渡せる。厳しいのは、途中の岩嶺のコブと稜線直下の急斜面のようだ。岩嶺の方は夏道を越える。トップを交代しながら雪面を登り、稜線直下の急斜面に取り付く。下から見た時には、ブッシュの右側を登っていこうと思っていたが、ブッシュもそれほど密ではなく、手がかりにもなるのでブッシュの中を登っていく。しばらく登って一本立てた後、ブッシュの右側の尾根に出る。まだ分岐は上だろうと思い尾根伝いに登るが、右側に派生する尾根に気づき、GPSを確認すると、ここが9合目の分岐であった。
9:00 稜線は風が強く、ちょっと油断した間に帽子を飛ばされてしまった。兎岳につづく稜線に向かうと、大きなクラックが口をあけていた。中央に幅5mほどのリッジが立っており、左右は深いクラックだ。はじめ、右側の草付きの雪面を進むが行く手を阻まれる。ラストを歩いていたTbさんに、中央のリッジを進んでもらう。強い風が吹き続く。結局、帽子3個と、ザックカバー2つが奥利根の谷に飛ばされていった。
9:30 しばらく進むと、先頭のTbさんから「ロープ」とのコールがある。1936mの肩からの急斜面。雪のテラスの先端まで行って先を覗くと、左下方に尾根が延びているのだが雪庇がオーバハングしていて下りられない。垂直な段差は3mほどだが、その先もかなり斜度のあるリッジで、安定した場所まではロープが届かない。スコップを出してオーバハングの雪を落としてから、ピッケルで支点を取る。Tbが先に下りてリッジの中間でピッケルの支点を取る。2番手のKsがプルージックをとって下っていくが、あっ、という声と共に東側の斜面に滑っていきロープにテンションがかかる。なんとかリッジまで登り返し、リッジの西側の斜面を30mほど下って、安定した場所まで下りる。順次、プルージックで下りていくが、何回かテンションがかかる場面があった。最後は上の支点を外して下る。垂直壁の下降で1mほど滑ったが、なんとか自力で止める。全員が安定した場所に下りて一安心。ここの通過に1時間を要す。
11:20−40 1768mの小ピークで休憩。なんどかクラックを跨ぎながら下っていく。しばらくいくと、また、大きなクラックに出会う。ロープで確保してスノーブリッジを渡ろうとしたが、Hrが下を迂回するルートを発見。熊の足跡も下を通っているようだ。通過後に振り返ってクラックを見ると、厚みの無いスノーブリッジの下は深い穴になっていた。危ないところだった。
12:57−13:11 小兎岳で休憩。山頂でテントを発見。声をかけると単独行の人が顔を出した。昨日、丹後山を登ってきて、今日は強風で停滞との事。「林道は怖くありませんでしたか?」と聞くと「かなり怖かったです」と。
13:49−58 兎岳頂上で小休止。風は相変わらず強い。予想外に時間を使ったので丹後山避難小屋まで行く計画を諦めて、途中で幕営することにする。風がよけられるテント場を求めて大水上山につながる鞍部へ降りて行く。
14:15 大水上山への鞍部の手前の緩斜面に、3段テラスを切り出してテントを張る。残っていたヒレと日本酒でヒレ酒を造って、Hrテントに届ける。今日はHrちゃん、完全復帰のようだ。Ybのザックからは、ナッツやドライフルーツなどお酒の友がどっさりと出てくる。こういうのは、食べだすと停まらない。メインディッシュは、北海道産の秋刀魚の蒲焼。身も厚く柔らかい。
5月2日 月曜日 霧 強風
昨夜、9時ごろから強まった風が治まらない。夜半までは星も見えていたのだが、朝にはガスが掛かり視界は数十m。予定通り3時半には起きたものの、しばらく停滞することにする。Hrがラジオで確認したところ、東北地方の強風は夜まで続くとの事。Tbテントのフライのフックが外れて、ステーでフライが引き裂かれてしまう。細引きを使って補修する。起きていると寒いので、シュラフを出してお休みモードにする。しばらくすると、外で声がするので覗いてみると、4人パーティが兎岳から降りてきた。昨日、我々が兎岳の稜線で歩いているのを日向山から見かけたとの事。今日は、小兎岳の鞍部のテント場から丹後山避難小屋を目指し、明日は、平ガ岳から尾瀬を目指すとのこと。我々と同じ計画。さらに詳しく話を聞いてみると、昭文社の越後三山の地図を執筆した越後三山岳友会の方との事。Ksがラジオの天気図を取る。北海道の低気圧は988hPaに発達している。寒冷前線は通り過ぎているが、低気圧の後ろに北側から吹き込む風が強いようだ。今日一日の停滞を決める。予備日の利用についてメンバーの意見を集約する。食料は問題なさそうだ。燃料は、Ksテントで厳しい状況だが、Hrテントに余裕がある。Tbテントは、初日にバーナを3つ出して豪勢に焼き物などしたため、知らぬ間にボンベ3缶を使い果たし、残り2缶という失態をしてしまったが、予備用として持ってきたガソリンバーナを主力で使えば問題なさそうだ。ということで、今日は終日停滞し、明日から計画を1日シフトして平ガ岳へ向かうことを決める。それでは、ゆっくりしようということで、ガソリンバーナを使ってお茶を沸かそう、という段になって問題が生じた。ガソリンバーナのポンピングがうまく出来ず、安定した燃焼が得られないのだ。これが使えないとなると、予備日利用の前提が崩れる。雪山で燃料がなくなれば、生死に直結する。ガソリンバーナが使えないとなると、確実に2日以内で下山する方法を考えないといけない。ルート的に一番早いのは、丹後山から栃ノ木橋に下りるルートだが、林道の雪崩を考えると選択肢には入れられない。本谷山から下るルートも同じだ。来たルートを戻る選択もあるが、怖い思いして超えてきた雪庇をもう一度乗り越える気にはならない。となると、残された選択肢は、下津川山からネコブ山経由で下りるルートだ。計画書のエスケープルートとしては記載していないが、残雪期に歩いた山行記は何件か読んでおりルートの概要は分かっている。主要メンバーで作戦会議を開く。現時点の最善策として、今日は丹後山避難小屋に向かうことに決める。避難小屋のゆったりしたスペースで状況を整理した方がよいし、少し体を動かしておいたほうが、明日以降の行動のためにもなる。なにより、避難小屋には、越後三山岳友会のパーティが居るはずで、ルート状況についてアドバイスを期待できる。早速、テントを撤収。ちょっと待ったのKwテントの撤収を心配していたが、ふと見ると、すでに出発準備を整えていた。リーダテントの撤収が最後になってしまった。
13:31 行動開始。風は大分治まってきた。ガスも、時折、大水上山が望める程度には薄くなってきた。越後三山岳友会のトレースを追いながら大水上山への斜面を登っていく。残されたトレースは、雪が深いところでも複数が並行しておりストライドも広い。メンバー全員が相当の実力者のようだ。このストライドでは我々のパーティは登れないので、2歩のステップを3歩に切り直しながら登っていく。
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大水上山、3日目にしてようやく分水嶺に到着
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ガスの中、丹後山避難小屋に到着
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14:05 大水上山の山頂に到着。山行3日目にしてようやく分水嶺に到着。記念撮影をする。行く予定だった平ガ岳へ向かう尾根を覗いてみる。尾根の東側は雪庇となっており降りられない。藪をしばらく下りて、西側から稜線に回り込めそうだったが、ガスが残っていて確認できなかった。なだらかな山頂を丹後山に向かう。
15:00 避難小屋に到着。不思議なことに小屋の周りだけ雪が無い。自然にこのようになるのだろうか?中には越後三山岳友会のパーティが居て我々を迎えてくれた。入り口の氷を掘り出して、ドアを開けてくれたそうだ。2Fに上がり荷を降ろしてから、ルートについてご相談に伺う。4人のパーティの内3名の男性は、八海山救助隊のメンバーとの事。どうりで実力者ぞろいのはずだ。彼らは、途中一泊で尾瀬に抜ける予定との事。しかし、我々の実力、人数では2日で抜けるのは難しいだろう。ガソリンバーナを再度確認するが、どこかからガソリンが漏れている様だ。テントの中ではとても使えない。燃料に余裕が無い状態でエスケープルートの無い雪山に突入するのは賢明な判断とはいえない。メンバーで相談し、下津川山経由で下山することを決める。その後も、山の話、リーダのあり方、雪国の生活、酒の話など、いろいろな話をさせていただく。燃料が欠乏気味のリーダテント班は、Hrテント班に、御飯炊き、水つくりをお願いする。3日目の夕食は、マーボ那須。アマノフーズのドライフーズは、ドライフーズとは思えないような食感と味の良さで山の食生活を豊かにしてくれる。
5月3日 火曜日 晴のち曇り
避難小屋ではぐっすりと寝れた。塩味のスープに御餅を入れる。すっきりした味が朝食に合う。風も治まり朝焼けが美しい。小屋の前で越後三山岳友会のメンバーと写真を撮る。
朝焼けを背景にした平ヶ岳へのルート
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越後三山岳友会のメンバーと記念撮影
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越後沢山〜本谷山〜下津川山を目指す
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西本谷山分岐で分水嶺12の足跡と接続
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5:15 彼らが平ガ岳へ向けて歩いていくのを、ちょっぴりうらやましい気持ちで送り出してから、我々は本谷山に向かう。大水上山と本谷山の間も、分水嶺の未踏区間。分水嶺シリーズとして十分に価値のあるコースだ。7:15 越後沢山を通過。8:50 本谷山を通過。本谷山からの下りは、痩せ尾根となっている。概ね夏道が出ているので、それにしたがって慎重に下る。9:15 西本谷山の分岐に到着。これで、昨年10月のルートと接続。記念撮影をする。前回は、苦労して掻き分けて登った笹薮も今回は雪に覆われていて、しかし、その先の石楠花の藪は、そうたやすくは通してくれない。こうなるとHr突撃隊長の出番だ。水を得た魚のようにルンルン気分でルートを切り開いて進んでいく。昨日までとは風向きが変わり南風。次の低気圧が近づいているのだろう。夕方には降り出す予報だ。その前に幕場に着きたい。しかし、登りとなるとペースが落ちる。女性陣は快調なのだが、男性陣のスタミナ切れが目立つ。初日のスピードからは2割ぐらいは落ちているだろう。やはり、平ガ岳に向かっていたら、2日で抜けるのはとても無理だったろう。でも、これでいい。自分たちの体力に見合った計画を立てて、山を満喫すれば、それでいいのだ。
12:31−57 下津川山に到着。大休止を取る。ここから分水嶺を離脱して、ネコブ山の尾根に入る。頂上の藪を北に突っ切ると広い尾根に出る。雪原には、こちらに向かうトレースが残されている。しばらくは快調に歩く。本谷山のほうから眺めた時に気になっていた岩嶺も藪伝いにクリア。ネコブ山の長大な稜線と、そこに切り立つ雪庇が近づいてきた時に難場が現れた、14:00 先ずは、痩せ尾根の西側に危なげに乗っている雪面のトラバース。そして、その先には、大きな亀裂の入った雪壁が目に入ってきた。トラバースの方は、危険を感じるものではなかったが、「怖いっ!」て声が聞こえたので、ロープを出す。30mロープぎりぎりの距離だったが、240のシュリンゲを継ぎ足して両端をフィックス。メンバーが渡っている間に、先の雪壁を観察する。1713mの小ピークに登る高度差40mほどの斜面だ。右側には、ほぼまっすぐにリッジが立っている。左側には、何筋にも亀裂が入った斜面が続いている。いずれも、いつかは崩落する雪だ。それが今日である可能性は相当に小さいと思うが、ゼロではない。右側のリッジを直登するのが最も短時間で通過する方法だろう。しかし、途中で崩れたら助からない。踏み跡は左側のクラックに沿って下って来ているようだ。登った先の藪との接続状況がここからだと良くわからない。もっと下を水平にトラバースして藪に入ってから登る方法もある。ロープを片付けて、先行したメンバーを追いかける。左側のトラバースを有力候補として雪壁の前までアプローチ。近づいてみると斜度はそれほどきつくない。状況を観察したTbが右側のリッジが登れると判断。Goサインを出す。Tbを先頭に間隔をあけて登る。湿った雪は、蹴りこまなくてもしっかりとステップが出来る。もう少し固まっててくれよ、と思いながら、そろそろと登る。小さなクラックを左に渡り、更に登ると、うまく尾根に乗り移れた。尾根に乗って、後続を待つ。後三人、二人、最後の一人。全員が登りきった時にはほっとした。そこからは、しばらくいくと、ネコブ山の広い山頂稜線に乗った。緩やかの斜面になり、後ろから休憩しようかと声をかけるが、先頭の女性陣はそのまま進む。どうやら、テン場を見つけるまでは一気に歩くつもりのようだ。
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ロープを出してトラバース
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雪のリッジを1713mへ登る
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15:38 ネコブ山のトレードマークのコプの手前で平坦地を見つけて、今日の天場とする。ストレッチをしようか、と言うが、降り出す前にテントを張りたい、と、やはり早くテントに潜り込みたいようだ。確かに雪が舞い始めたが、本格的な降りにはならなかった。ここまでこれば、一安心。最後のボンベでお茶を沸かす。今日も、御飯炊きと明日の行動水はHrテントに依頼。最終日のメインディッシュはアマノフーズのカレー。今回は、震災の影響でドライフーズの入手にも苦労したそうだ。いつも女性陣に食担をお願いしてしまう分水嶺には、批判もあるのだが、おいしくて、バリエーションもあり、かつ軽量な食料計画は、厳しい山行の活力としてなくてはならないものだ。申し訳ないが、当分の間は、お願いします。
5月4日 水曜日 晴れ
「出発は5時、起床時間は各班の判断で」というのが昨夜の指示。でも、僕は、自分のテントの起床時間も決めずに、さっさと寝てしまったようだ。KsテントはTkちゃんがきびきびと指示を出し3時には起き出した。こちらのテントも、もたつき気味なので、3時10分に起床。手際の良いHrテントは、3時半頃に起き出したようだ。しゃぶしゃぶ餅入りのうどんの朝食。温かいコーヒー。なんとか最終日の朝まで燃料が持った。ほぼ3つのテントが同時に撤収が完了。ストレッチを済まして、4:53に出発。ネコブ山の山頂をしばらく歩き、左側に回りこみ、少し藪に入って桑ノ木山に下っていく。
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ネコブ山のトレードマークのコブと朝日 |
桑ノ木山にて越後三山をバックに
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桑ノ木山から今回歩いたルートを一望する
5:58−6:08 桑ノ木山は緩やかな双コブ山。手前のピークで一服する。南側には、今回歩いた中ノ岳から兎岳、大水上山、丹後山、本谷山、下津川山、ネコブ山の山稜がパノラマの様に見渡せる。良くこれだけの距離を歩いたものだ。当初計画したルートではなかったけれど、雪山縦走として十分に満足できるものだった。名残惜しさを感じながら下る。1338mのピークを過ぎると雪原が終わり、雑木林の尾根に入る。イワウチワの群生が延々と続く。7:00アイゼンを外す。単独者、2名のパーティなど、数パーティとすれ違う。人気のコースのようだ。尾根はだんだん細くなり、傾斜はきつくなる。難所では、「足は右、この木は枯れ木」などと声をかけながら慎重に下っていく。
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群落で咲いていたイワウチワ
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発電所の送水菅の小屋への下り
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9:30 発電所の送水管の上部小屋に着く。小屋に降りる数mの崖がいやらしい。捨て縄を打って、ダブルロープを下ろしてKsが先に下る。残りのメンバーは、Ksの振り付け指導で「左足ここ、右足こっち、それは左足」、と賑やかにクライムダウン。結局、ロープは入らないということで、捨て縄を回収して降りる。後は送水管の脇の階段をひたすら下りる。
10:10 階段の手すりに足を掛けて、雪面に飛び乗って下降終了。薄暗いトンネルをヘッドライトをつけて通過。出口は雪で半分ほど埋まっている。雪と一緒に落ちてきてた木に掴まって三国川本流にかかる橋に降り立つ。栃ノ木橋に向かう林道は、ほとんど雪に埋まっている。奥の方は、どんなに恐ろしい状況になっているのだろう。5日前に歩いた林道を反対向きに歩く。雪解けした斜面には蕗の薹が沢山咲いている。花が開いていないものを選びながら収穫。途中まで歩くと、一般車が何台も停まっていた。ダムの下での交通規制が解除されたようだ。タクシー会社に電話をして、奥まで入ってきてもらうように依頼。
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雪で埋まった三国川左岸の林道
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この五日間で満開になったオオヤマザクラ
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11:08 釣堀の施設まで歩いたところで、ザックを下ろして待つことにする。オオヤマザクラが綺麗に咲いている。5日前で、ずいぶん春が進んだようだ。タクシーの運転手に、六日町中央温泉に向かってもらうように依頼すると「あそこは廃業しました」と言われる。昨年、我々が臭い匂いで地元客を追い出してしまったのが原因で無いと良いけれど。タクシーで越後湯沢に向かってもらう。駅の温泉に入って、駅前のラーメン屋で反省会。お兄ちゃんが一人で切り盛りしていたけれど、とても手際よく対応してくれた。ビールで乾杯、八海山を飲んで、ねぎチャーシュラーメンを食べる。