〜 成功したキリマンジャロ 山 行 記 〜 |
「総括報告」 チーフリーダー T.H
9/3〜14アフリカ最高峰キリマンジャロに14名のみろくメンバーが挑戦しました。山行の特徴は、
@ツアー登山会社に頼ることなく、自分たちで計画した手作り山行であった
A日本人のほとんどが利用するピストンコース(マラングルート)でなく、難易度は上がるものの、縦走コース(マチャメルート)を選択した
B科学的トレーニングを行い高山病対策を徹底した
ことです。
メンバーのうち、1名がステラポイント(5,756m)直前で撤退したことは残念でしたが、登頂成功率5〜6割と言われる中、13名のメンバーが最高峰ウフルピーク(5,895m)に立つことができました。苦しかっただけにその感動も大きかったのでしょう、女性陣は目を潤ませ、お互いに抱き合い、喜びを爆発させていました。
事前トレーニングでは、パルスオキシメーターを共同購入し、数回の富士山高所訓練では高度毎に各人の血中酸素濃度を計測し記録しました。低酸素室トレーニングでは、パルスオキシメーターを装着し、トレーニングしながら各人にとって最も血中酸素濃度が上がる腹式呼吸法の会得に努めました。
マチャメルートは、欧米人に人気のコースです。キリマンジャロの山麓(4,000m前後)をテント泊しながら西側から東側に半周してベースキャンプに至り、最後に真夜中に出発し早朝ウフルピークに立つという、6泊7日の山行です。植生も豊かでまた変化に富んだコースにメンバーは大満足のようでした。
アルピニスト・野口健氏は高校生の時にこの山に登頂し、世界7大陸最高峰の登頂を決意したといいます。さもありなん。頂上付近の大氷河と人を圧倒する山容は誰をも感動させるに違いありません。
航空券を自分たちで手配し、山行は現地エージェントに依頼するなど手作り山行であったため、山行費用は日本のツアー登山会社の同じコースと比較して30万円ほど安く済ませることができました。
本山行の計画立案、現地エージェントとの交渉、ガイドとの通訳などの一切は英語ができるサブリーダーのS.M氏に尽力していただきました。小生は名前だけのチーフリーダーであったことを申し添えておきます。
「自分自身への挑戦」 H.S
9月7日。登山を開始してから3日目、シーラキャンプを出発してバランコキャンプへ向かう。
ごつごつとした溶岩の岩の間を縫うようにして進む。その谷間を過ぎるとあたりは開け、キリマンジャロの広大な裾野にまっすぐと道が延び、その先にキリマンジャロが姿を現す。
シーラキャンプを過ぎてからは一歩一歩が、自分自身の最高高度記録の更新となる。ゆっくりと歩を進める私の脇を、大きな荷を頭に、背に担いだ黒褐色の肌のポーターたちが追い越していく。訳もなく涙がにじむ。さまざまなことが頭をよぎる。鼻水をすすりながら涙をこらえる。やがてキリマンジャロの姿が大きくなり、右に緩やかにカーブを切ってラヴァタワー(4,640m)に向かう。いよいよキリマンジャロの懐に分け入る。
9月9日の夜半に出発した頂上アタックの日は、夜のうち気温は低かったが、1日ほとんど風もなく穏やかな日だった。5,000mを過ぎる頃腹に少しむかつき感を覚える。自分自身の体の内なる声を聴きとりながら一歩一歩登る。幸いそれ以上悪化することなく、10日朝にウフルピークに立つことができた。ピークに立つ最後の一歩は、「人類にとっては小さな一歩かもしれないが、私にとっては大いなる一歩であった」
「キリマンジャロ山、登頂」 H.M
自分自身の最高所にチャレンジのため、この山行に応募、事前の知識では「誰でも挑戦出来る山」で登頂できるかどうかはその人次第(高度順化に失敗すると登頂出来ない山)。
登山口(マチャメゲート1,800m)は日本の10月下旬位の気温で、下長袖上半袖でピッタリ、おまけに「高度順化」のため、歩行はランクA並、汗も欠きません、1日目マチャメキャンプ3,010m。2日目シーラキャンプ3,800m。3日目4,640mラヴァタワー(溶岩の岩山)に登り昼食後、バランコキャンプ3,963mに下山(高度順化対応)。正面にキボ峰・後方にメルー山(4,566m)が見えます。4日目バラフキャンプ4,640mに向け出発、今日は岩登りにチャレンジ、大して難しくもなく登った。
今度はその分下り、半日かけて100mしか上がらず最終キャンプ場到着(バラフとはスワヒリ語で氷の意)。昼食後16:30まで仮眠をとる。
17:00より夕食、夕食後22:30まで寝る。十分とは言えないが、睡眠をとれた、23:00アタック開始。
下半身、パンツ・レギンス・雪山用ズボン・レインウエア―の4着、上半身長袖x2枚・冬用シャツ・フリーツ・ダウンの5着を着込む、手袋も雪山使用を着用し、ステラポイント迄の7時間急登の連続です、振り返ると富士山登山と同じでヘッド・ライトの明かりの波、5,000m越えた所で立ち止まると、頭の中で一瞬記憶が飛ぶ。「ハッ」として我に返る「ガンバレ」と我に言い聞かす、更に寒さが身に沁みて、指をグー・パーと動かす、更に高度を上げると「頭」が痛くなる。まだ軽度だ、ステラポイントに近づくにつれて夜が明けてきた、ご来光を見る「万歳」と叫ぶ、ステラポイント着、「頭」の痛み忘れる、最後のウフルピークに向かってガンバ、7:00ウフルピープ着。
良くヤッタ・良くガンバッタ、自分に言い聞かせうれしさをかみしめました、皆で登頂写真を撮り氷河も十分に堪能(20年後には、消滅との事)。チーフリーダー・サブリーダーの各自、ご一緒された皆様、大変「ありがとうございました」。
「キリマンジャロ山行に参加して」 O.E
アタック当日は夜11時30分バラフキャンプを出発し真っ暗闇を進みながら高度を徐々に上げる。「苦しい」。その時ポーターやガイドなどスタッフの人達が大声でマサイ民謡を踊りながら歌ってくれるではないか、こんな苦しい時に歌えるその体力もさることながらその心優しい気持ちを思うと感激と頑張らねば!と思い直し言葉には出来ない応援歌のようであった。
振り返ると稜線に沿って一直線に光の赤いラインが浮き出ている夜明けが近い。ステラポイント直前で日の出を迎えた。美しい。氷河が左側に大きな屏風のようにたちはだかってすごい迫力で迫ってくる。
ウフルピークでは見渡す限りの山々と氷河と白い雪のついた山々も広大でスケールが大きい。私がよくここまでこれたものだと信じられない位。涙が溢れてきた。長い道のりだったけど、仲間と一緒だからこれた。そして現地のスタッフの応援があったからこれた。この感動を忘れずにこれからもがんばろう!みろくの先輩がよい言葉を教えてくれた。
「一人はみんなの為にみんなは一人の為に」。
「キリマンジャロに登って」 O.Y
富士山訓練と低酸素室で効果的呼吸法を学び、いよいよバラフキャンプから頂上へアタック開始。暗闇の中急にガイド、ポーター達がキリマンジャロの歌を力強く歌い始め、リラックスしながら励まされ、ゆっくりゆっくり登ることができました。朝焼けのウフルピーク。遠くにケニアの山々、一億年前の氷河、すばらしい景色でした。
毎日水分の摂取量が少なく苦労しましたがガイド達が少しでも水を飲むように気遣ってくれアタックしながら5lも飲むことができました。水分補給が高山病を和らげてくれたのかも知れません。キリマンジャロの人々の優しさ、素直な心、ひたむきに努力する姿に、温かな思い出をたくさん頂きました。
「タンザニアに咲く花」 W.K
キリマンジャロ空港からアリューシャへの道に大樹の花々が美しい。赤い炎のようにチューリップ型の花、アフリカンチューリップツリー。それに混じって南アフリカの桜といわれるジャカランタ、花は藍から紫色で釣鐘形、樹冠を覆うように咲き乱れる。
登山初日、樹林帯の中、サルオガセが木の下にぶらさがり、足下には可愛い花、キリマンジャロインパチェンス、インペンションビオラ。2日目、白とピンクのエバーラスティング。赤いアロエに似た花、レッドホットポーカー。3日目、ラヴァタワーの前後にはジャイアントロベリア、ジャイアントセネシオの群落。圧巻である。4日目、難所のバランコウォール。岩を登りながらの花や景色には心安まる。5日目標高が上がるに連れドライフラワーのような花、エルグレッシャムネウィーホワイトフラワー。イエローフラワー。アタック日の6日目、ほとんど花は見られず、岩場とガレ場。7日目、登りのポレポレはどこへやら飛ぶように下ってゆく林道にはプロテアの花が咲き乱れる。
登山を終えホテルへ。ほっ!明日はゾウさんにライオンさんに心躍る。ンゴロンゴロ地区のクレーターはテレビで見ていたものの、百聞は一見に如かず納得、納得。とにかく広い。わずか12日間の旅でしたが皆さんも是非お試しあれ!!
「山行後記:杞憂に終わるという幸せ」サブリーダー S.M
山頂からの下りは疲れでヨレヨレだった。しかし、全員何事もなくゆっくりと山麗に向かっていることに何とも言えない幸せな解放感を味わった。
キリマンジャロへのカギは「高度順化」と「寒さ対策」と言われている。自分は数年前モンブラン登山で高度障害なるものを味わった。麓の小屋からかなりのスピードで高度を上げた結果、4600m付近で次の一歩が出にくくなり、併せて目にブラシで掃いたような痛みとともに目が霞んできた。
キリマンジャロは更に高度があがり約6000m、参加者の誰もが経験したことのない高さだ。平均年齢67才の年寄(自分もそうだが・)14名がチャレンジする。何人かに何かが起こるだろうと覚悟を決めた。
現地エージェントに登山中の障害件数と処置について聞く。高度障害予防として「呼吸法」「水分補充」の徹底を心がける。現地ガイドは「水を飲め」の一
点張り、呼吸法については無頓着だ。非常用酸素ボンベ、携帯(衛星)電話、予備の水の手配をする。登山道は一方通行でどこでも引返すわけにはいかない。下山者用のテントも考慮する必要がある。緊急救助ルート・手順について現地と入念に打合せる。 高度が増すごとに緊張感も増す。やがて、やっとの思いで頂上に到達。結果的にどのメンバーにも顕著な障害は現れなかった。
山行に備えて緊急対応に腐心したがそれらは杞憂(取越し苦労)に終わった。よかった。何ともいえない幸せな解放感を感じつつ山麗に向かった。
旅の途中で垣間見るタンザニアの雄大な国土と集落、ガイドを通じて知るマサイの生活習慣、民話、学校、軍隊等々の断片知識は、キリマンジャロ登山と同様に参加者の心に長く残ることだろう。
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