大楠山からの展望  高橋昌嗣 画

                                           

                                            


三浦アルプスは、大半は、逗子市、葉山町に属し、一部は横須賀市にまたがっています。
三浦半島の地図でみると、逗葉新道と県道横須賀葉山線にはさまれた広大な丘陵地帯で、この丘陵の中に、阿部倉山(156m)・二子山(207m)・仙元山(117m)・畠山(205m)の名前がみられます。丘陵地帯のなかを森戸川が流れています。
二子山や仙元山周辺には、かなり以前からハイキングコースが整備されていて、多くのハイカーに親しまれてきました。


       

この丘陵地帯には、前述したように二子山と仙元山のハイキングコースがありましたが、丘陵地帯全部を網羅する登山道はありませんでした。大変複雑な地形なため、足を踏み入れても迷いやすいため、地元の人達のあいだでは「入山しない方が良い」と、言われるほどでした。

1984年に、みろく山の会の高橋昌嗣、木村忠美会員が仙元山ハイキングコースから森戸川南面の丘陵地帯を踏破し二子山ハイキングコース、阿部倉山へ抜けるコースの開拓にあたりました。二人は1/25000の地形図をたよりに忠実に稜線をたどりました。当時はヤブが生い茂り、大変なヤブこぎをよぎなくされました。方面が分らなくなると木によじ登り、尾根のつながりを確認するという状況でした。
1回目は通称乳頭山まで行きましたが、森戸川源流へ迷い込み失敗、2回目に二子山まで行き着き、U字型の三浦アルプスの基本コースが開拓されました。1985年4月6日に、みろく山の会の山行で高橋昌嗣リーダーにより「三浦アルプスお花見山行」という名称で、はじめての山行が行われました。初期の三浦アルプス山行には、ヤブこぎのためゴーグル持参となっていました。以後、乳頭山から田浦へ抜けるコースや畠山、塚山公園へ抜けるコ−スなどが次々に開拓されました。

当初はみろく山の会のなかで「三浦アルプス」という名称は通っていましたが。最近ではこの一帯の丘陵地帯が、多くの人によって「三浦アルプス」として呼ばれるようになりました。多くの人の入山により、登山道もはっきりしたものになり、道標なども整備されてきました。逗子市、葉山町消防署により、位置確認ナンバーの取り付けが行われました。

04年2月には、みろく山の会富永邦雄会員により詳しい概念図も作成されました。

        



逗子市の池子の森、三浦アルプス一帯、大楠山周辺の森、三浦富士(武山)周辺、小網代の森は、三浦半島に残された貴重な森です。

昔は薪や肥料を得るために地元の農家の人達が入山したようですが、最近は薪取りなどもなくなり、数十年も放置されているため原生林のような状態になっています。

春先には、サンコウチョウやオオルリ・ホトトギスなど渡り鳥の姿を見る事ができます。タヌキやタイワンリス、ノウサギなどの哺乳類も多く生息しています。森戸川では、アブラハヤやオイカワ、ハゼなどの魚類、夏にはホタルも見ることができます。首都圏に近い所に残された貴重な自然に恵まれた森です。

標高は高くありませんが、小さな頂きがたくさんあり、アップダウンの繰り返しは、まさにアルプスの感があり、里山歩きにうってつけです。


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